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良識ある日本国民の皆様には、安重根に伊藤博文が暗殺された10月26日に韓国が記念造形物除幕式を行ったのはご存知だと考えます。

安重根義士記念造形物公開

京畿道富川市は26日達美区中洞にある安重根(アン・ジュングン)公園で安義士義挙第102周年記念式と記念造形物除幕式を行った。

安義士の一代記を記した造形物は長さ21m、高さ3mの花崗岩構造物で建設された。
ファイナンシャルニュース(韓国語)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1319634011/

>26日達美区中洞にある安重根(アン・ジュングン)公園で安義士義挙第102周年記念式と記念造形物除幕式を行った

ふざけるな!、10月26日は安重根に伊藤博文が暗殺された日で、これまで韓国はテロリストの安重根を「反日の英雄」(義士)にしていますが、26日に公開した記念造形物は、安重根が拳銃を持って伊藤博文を暗殺するモニュメントです。




>安義士の一代記を記した造形物

マヌケなテロリストと記してあるのか!、安重根の本来の姿とは、日韓併合に慎重・反対の立場を取っていた伊藤博文を暗殺した結果、韓国が強制だと歴史を捏造する1910年8月の「日韓併合」を推進してしまった、韓国にとっては売国奴です。

伊藤博文公は死の間際に、自分を撃ったのが朝鮮人だと知らされて、「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と嘆いたと言われていますが、これは日韓併合に慎重・反対の立場として、日本と朝鮮国内の併合推進派に、併合推進の口実を与えてしまったと考えられます。

第三者狙撃説は、安重根はほぼ正面から「拳銃」で狙撃、事件現場にいた室田義文貴族院議員が、「伊藤に命中した弾丸はカービン銃のもの」・「弾丸は伊藤の右上方から左下方へ向けて当たった」と証言したからで、仮に事実でも、安重根はマヌケなテロリストです。




韓国では儒者などによる「騒擾(テロ)」は、日露戦争中の1904年(明治37年)から異常に多く発生して日本を悩ませていましたが、1905年11月の第二次日韓協約交渉中に、韓国皇帝の高宗らが画策して儒者等を扇動していました。

1905年(明治38年)11月の「第二次日韓協約」により、大韓帝国は日本の保護国になりましたが、歴史を捏造する韓国は、第二次日韓協約の交渉の際、「伊藤博文が韓国駐箚軍(日本軍)にソウルの宮殿を包囲させていた」と条約不法性を主張しています。




当時の韓国では頻繁に儒者などによるテロが起きていたので、日本はテロ防止の目的から「宮殿を警護」しただけですし、第二次日韓協約の交渉中に「高宗」(韓国皇帝)らが儒者などを使った「テロ」を企て、伊藤公は韓国側の策略を知りました。

11月15日の高宗との内謁見で、伊藤公は「昨今儒生輩を扇動して上疏献白を為し秘密に反対運動を為さしめつつありとの事は、疾く我軍隊の探知したる所なり」と述べると、高宗は反論できずに、伊藤公ら日本側は交渉を続けて、韓国は納得して締結しました。

伊藤博文公が韓国併合には消極的で、併合よりも「韓国の自立」を望んでいたことは、1907年(明治40年)5月30日の、大韓帝国の閣僚たちに伊藤博文統監が与えた訓示でも分かります。

『日清戦争後まもなく、ロシヤが、手を韓国にのばすや、韓国はそれをとがめぬばかりか、韓国独立のために謀る日本を嫌厭した。韓国は自国の独立の為には、不利なことは判りながらロシヤに追従したではないか。日清の役から日露の役に至る十年間、韓国は奮って、独立の要素を涵養しなければならなかった時期でもあったにも拘わらず。これを顧みず、或いは右に赴き、或いは左に傾いて、そのために遂に、日本が韓国のために、ロシヤと戦わねばならなくした。

およそ国家は、自ら、独立する要素がなくて、単に、他国に寄りかかっているだけで、立っていけるものではない。今日のままで進むとすれば、韓国を亡ぼすものは、他国ではなく、韓国自身ではなかろうか。故に諸君は、反覆表裏なく、専心一意、韓国のために謀らなければならない。日本は諸君を助けて、韓国を独立させるよう尽力しつつある、然るに韓人は、日露戦争のような大激戦を目撃していながら、尚、覚醒しないのは、何事であろうか……

そうだ、韓国を滅ぼすものは日本人ではなくて、内外の形勢を察せず、無謀軽挙を事とする韓人である。……自分は韓国の改善に絶望した事もしばしばである。しかしながら韓国の形勢に顧みて、忍耐して従来の方針を改めない。国は自ら立たなくてはならない。今日のようにして進むならば、韓国は、もはや、自滅の他ない。』
(日本から見た韓国併合1)より抜粋
http://didisama.tripod.com/didi/kankoku_heigou1.htm#itouhirobumi

1909年10月26日にハルビン駅で、初代内閣総理大臣で、初代韓国統監だった伊藤博文公(当時は枢密院議長)を、安重根が暗殺したことは、日本側の日韓併合慎重・反対派の重鎮を一人失ったことで、韓国内の併合推進派に併合推進の口実を与えたのです。

日韓併合を推進したといってもよい、「李容九」などが率いる文明開化派の最大政治組織「一進会」は、1909年12月4日に「韓日合邦を要求する声明書」を作成して上奏文と請願書を、李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出しました。

「韓日合邦を要求する声明書」

日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。(中略)

伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)

それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。
「1909年12月4日 一進会」(百万の朝鮮人会員)より引用
http://homepage1.nifty.com/y-kan/hibisiryou.HTM

韓国併合について伊藤公は、「保護国化による実質的な統治で充分である」との考えから「併合反対」の立場を取り、1909年7月、「韓国併合の基本方針」が閣議決定されても、本格併合は将来的な課題として「早期併合に慎重」でしたが、伊藤公が安重根に殺害されて強力な併合反対派が消えたので、1910年、日韓併合になりました。




安重根は「裁判所」(旅順の関東州都府督裁判所)で、清渕孝雄検察官に「伊藤博文公を敵視するようになったか」と問われて、15項目の馬鹿な理由を主張しましたが、本ブログには投稿文字数に制限がありますので一つだけ取り上げます。

安重根は、「伊藤は現天皇(明治天皇)の御父君に当たられるお方(孝明天皇)を暗殺(毒殺)した」と言いましたが、考明天皇のご崩御は1866年12月25日で毒殺された記録はなく、当時の伊藤公は長州の三田尻にいたのですから、宮中に入れる身分ではありませんでした。

韓国は、スポーツの応援や切手でも、マヌケなテロリストの安重根を反日の英雄にしていますが、これこそ、歴史を捏造した強制連行や従軍慰安婦と同じで、韓国人が日韓の歴史の真実を知らないからです。







韓国は、安重根が拳銃を持って伊藤博文を暗殺するモニュメントを公開したことは反日国家の証明で、例えば、日本が米国元大統領やマッカーサーを暗殺したとしても、テロリストのモニュメントを製作することはありませんし、先進国・友好国では常識です。

韓国は安重根が伊藤博文を暗殺した10月26日に、安重根が拳銃を持った記念造形物を公開しましたが、安重根は、日韓併合慎重・反対の伊藤博文を暗殺したマヌケなテロリストで、反日の英雄・義士ではなく韓国の売国奴です。

良識ある日本国民の皆様、安重根が拳銃を持った記念造形物についてご考慮下さい。

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近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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