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良識ある日本国民の皆様には、浅田真央選手の母、匡子さんが亡くなったのはご存知だと考えます。

浅田真央の母・匡子さん死去…9日早朝に

フィギュアスケート女子の浅田真央選手(中京大)の母、匡子さんが9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去したとマネジメント会社が同日、発表した。今夏から病状が悪化し、入退院を繰り返していたという。48歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行う。

 浅田はケベックの現地時間8日早朝に容体急変の連絡を受け、グランプリ(GP)ファイナルを欠場。開催地カナダのケベックから佐藤信夫コーチとともに帰国の途に就いた。同日午後に帰国したが、間に合わなかった。
(スポニチ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111209-00000097-spnannex-spo

>フィギュアスケート女子の浅田真央選手(中京大)の母、匡子さんが9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去した

浅田真央選手が9日開幕のフィギュアスケートのグランプリファイナルを欠場、母親の病状急変のために帰国の途についたと報道されたので、私は浅田真央選手のお母さんのご無事を祈っていましたが・・・、本当に残念です。

浅田匡子さんのご冥福をお祈りいたします。

>今夏から病状が悪化し、入退院を繰り返していたという。48歳だった

浅田真央選手の母親、匡子さんは私より年下で、48歳とは早過ぎる・・・、私にも浅田真央選手と同じ歳の娘がいるので、愛する娘を残した・・・、お母さんの気持ちがわかります。

浅田真央選手は7月に、東日本大震災の被災者約1400人を無料招待して、被災地で慈善アイスショーを行っていましたが、今考えると、お母さんの病気を心配している中での被災者の方々への熱演でした。




被災地で無料アイスショー 浅田選手らの熱演に笑顔

フィギュアスケート女子の浅田真央選手(20)=中京大、男子の小塚崇彦選手(22)=トヨタ自動車=ら国内外のトップスケーターによる慈善アイスショーが27日、東日本大震災の被災者約1400人を無料招待して被災地の青森県八戸市の新井田インドアリンクで開催され、華やかな演技の連続に場内は拍手と歓声で包まれた。

 青森、岩手、宮城の3県から、仮設住宅で避難生活を送る被災者らが貸し切りのバス31台に分かれて会場を訪れた。浅田選手は、被災者を思って作られたプログラムをしっとりと滑り、小塚選手、自らも被災した羽生結弦選手(16)=宮城・東北高=らも熱演した。

 津波の爪痕を目にしたという浅田選手は「(観客が)笑顔になってくれて、来て良かった」と話し、前日に祖父の光彦さんを亡くした小塚選手は「僕も寂しいが、今日は楽しんでもらえるように心掛けた」と思いを口にした。

 被災地のスケーターはトップ選手から振り付けの指導を受け、ショーでは夢の共演も実現した。八戸市湊町の竹原勝子さん(66)は「ショーを見るのは初めて。何もかも忘れて楽しめた」と興奮した様子だった。
(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110727/oth11072718320016-n1.htm

>同日午後に帰国したが、間に合わなかった

最期を看取ることができなかったとは・・・、まだ21歳の浅田真央選手にとって本当に辛く悲しいことですし、5歳でスケートを始めた浅田真央選手を、これまで支えていたのが匡子さんだったことも有名です。




浅田真央選手の母・匡子さん 娘の練習20時間見守っていた

匡子さんは、真央が5才のときに2才年上の姉・舞とともに近所のスケート教室に通わせた。
「匡子さんは両親が早くに亡くなったこともあり、苦労されたんです。そんなこともあり、自分たちの娘にはやりたいことを何でもやらせてあげたいと思いバレエからジャズダンス、ピアノなどを習わせていました」(浅田家の知人)

他の習い事は続かなかった真央だが、フィギュアは喜んで通った。
「スケートは大好き!」
真央は朝から判までリンクで滑り続けた。

匡子さんはスケート教室を見学しては、コーチについて細かに調べはじめた。

真央が小学生のとき、日本人初のフィギュア五輪メダリスト伊藤みどり(40才)を育てた名コーチ、山田満知子さん(66才)の存在を知った。すぐに直接訪ね、頭を下げた。
「明日から一日も休まず練習させますから、真央を教えてください」

当時の様子を匡子さんはこう振り返る。

「子供たちと約束したことがあるんです。それは、やると決めたことは投げ出さないで最後までやり遂げるということ」

早朝6時から深夜1時半まで、姉妹の練習は20時間近くに及ぶときもあった。
(NEWS ポストセブン )抜粋
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111210-00000000-pseven-spo

浅田選手と母親 心一つに氷上舞い続け…

昨年2月、バンクーバー五輪で浅田選手は銀メダルを獲得した。最初にメダルを見せたい人を問われると、「お母さんです」と即答し、母娘の深い信頼関係を垣間見せた。当時19歳。母の喜ぶ顔が見たい一心で氷上を舞い続けたのかもしれない。

 匡子さんはそのとき、バンクーバー市内のホテルでテレビの前にいた。スイッチは入れられず、ひたすら勝利を祈っていたという。娘の快挙を聞くと「よくやったねと伝えたい」と号泣した。離れていても、娘と母は心を一つに戦っていた。

 浅田選手とフィギュアスケートの縁を結んだのも匡子さんだった。出会いは5歳。浅田選手にクラッシクバレエをさせたかった匡子さんが、足首などが強くなると考えてのことだった。ところが娘はリンクが大好きになった。以来、温かく成長を見守ってきた。
(産経新聞)抜粋
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111210-00000501-san-spo

浅田真央選手は、審判を買収して勝ってきたとしか考えられない韓国のキム・ヨナ選手との戦いだけではなく、キム・ヨナ称賛・浅田真央叩きのマスコミの中で戦ってきましたが、マスコミの報道をお母さんも悔しかったでしょう。

2008年3月にフジテレビは、フィギュアスケートの世界女王になった浅田真央が生出演した番組でのインタビューに、浅田真央が転倒したシーンの特大パネルを作成して、浅田真央の目の前に設置してインタビューを行いました。




フジテレビは、2009年4月14日~6月23日まで放送したドラマ「アタシんちの男子」の中で、「吉田真央」の名札を付けた藁人形が写された直後、「吉」の字を隠して「田真央」をアップに、「吉田真央」の藁人形に五寸釘が打ち込まれるシーンがありました。

そして、藁人形に付けた名札は「真央」とアップで映り、握りつぶされていく酷いシーンを放送しました。




【どうか鉄槌を】 こんな浅田真央さんをいじめ抜いたフジと花王(=Kanebo)(動画) http://youtu.be/JAG-zCoPKYg




2010年2月25日に、フジ・メディア・ホールディングスの日枝久代表取締役会長(写真中央)は、韓国のキム・ヨナ選手が在籍する高麗大学から「名誉経営学博士号」を授与されました。





浅田匡子さんのご冥福をお祈りいたします。

浅田真央選手には、今は涙を流してもこの悲しみを乗り越えて、お母さんのためにも素晴らしい演技を期待しています。




ガンバレ、浅田真央!

良識ある日本国民の皆様、浅田真央選手についてご考慮下さい。

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プロフィール

近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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