HOME   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイトYahoo!ブログ過去記事  »  ロシア社会団体「日本で毎年行われる北方領土の日は、我々の感情を深く侮辱するものだ」とネットに掲載、日露戦争と戦後侵略を一緒にするな、日本の領土と領海で日本の資源を盗み続る火事場泥棒ロシアとの友好はない
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良識ある日本国民の皆様には、ロシア社会団体が「日本で毎年行われる北方領土の日は、我々の感情を深く侮辱するものだ」とネットに掲載したのはご存知だと考えます。

ロシア社会団体:「北方領土の日は、我々の感情を深く侮辱する」

  6日、ロシアの社会運動体「クリルは我が土地」のメンバーらは、日本の指導部宛にインターネット上に日本語と英語で、領土要求を止めるよう求めるメッセージを掲載した。インターファクス通信が伝えた。
メッセージの中では「日本で毎年行われる北方領土の日は、我々の感情を深く侮辱するものだ」と述べられている。

メッセージ作成者らは又、次のように主張している―

1905年のポーツマス平和条約締結交渉で、日本代表団長の小村壽太郎首席全権は「戦争は、あらゆる条約を抹消するものだ。ロシアは敗北した。形成された状況に立脚しよう」と述べた。それゆえ、現在の国境が、第二次世界大戦の結果によって決定したものであることは全く当然の事ではないだろうか。

「そうした結果の見直すのは、戦争の条件へ戻りつつあって、そのことで前もって予見できない結果を齎す恐れがありますので、クリル諸島に対する要求を止め、『北方領土の日』を中止するようにお願いします。御理解と御協力を期待しています」と述べられている。
(ロシアの声)
http://japanese.ruvr.ru/2012/02/06/65446360.html

ふざけるなロシア!、1904年2月6日、小村壽太郎(外相)がロシアに国交断絶を言い渡して宣戦布告をした日露戦争と、ソ連が一方的に条約を破棄して日本へ侵略、大東亜戦争終結後にも侵略を続けたことを一緒にするのが、火事場泥棒のロシアです。

日本政府は、1981年(昭和56年)1月6日の閣議了解により、毎年2月7日(日魯通好条約調印日)を「北方領土の日」に制定しています。




当時の私は、政府が北方領土の日を制定する趣旨に賛成はしても、「日本が返還を求める北方領土は、北方四島含む全千島列島と南樺太にすべき」・「2月7日の日露通行条約の日ではなく、8月9日の日ソ中立不可侵条約破棄の日にすべき」と抗議をしました。

私たち民族派の指す北方領土とは、政府見解の、国後・択捉・歯舞・色丹の北方四島だけではなくて、北方四島を含む「全千島列島」と「南樺太」です。

1855年、「日ロ通好条約」(日露和親条約)を締結、日ロ両国の国境は択捉島(えとろふとう)以南(南千島列島)を日本領、得撫島(うるっぷとう)以北(北千島列島)をロシア領として確定、樺太には国境を定めず、日ロ両国民雑居の地としました。

1875年、「千島・樺太交換条約」を締結、日本は国境が未確定だった樺太全島に対する領有権を放棄する代わりに、占守島(しゅむしゅとう)までの北千島列島の領有権を得たので、全千島列島は日本の領土になりました。

1905年、「ポーツマス講和条約」を締結、日本は「日ロ戦争」の戦時賠償として、全千島全島に加え北緯50度以南の樺太、いわゆる「南樺太」は日本の領土になりました。




大東亜戦争の終結間近、1945年(昭和20年)8月9日に、日ソ中立不可侵条約(日ソ中立条約には相互不可侵の条文がある為)を一方的に破棄したロシア(旧ソ連)が、日本の領土へ侵略を開始しました。




昭和20年8月8日付、日ソ中立不可侵条約を一方的に破棄した「ソ連の対日宣戦布告通知書」

ロシアの侵略はまさに鬼畜そのもので、民間人の「大量虐殺」、強盗同然の「強奪行為」、日本人女子への「集団強姦」など、多くの日本人が犠牲となり、日本人は悲惨な思いをさせられました。

夫と子供の前で、ロシア兵は日本人女性を集団強姦し、その裸体を切り裂き虐殺して、裸の女性の死体を戦車に吊るして侵略をしたのがロシアです。




昭和20年8月11日から9月のソ連の北方領土侵略

大東亜戦争終結後、1951年のサンフランシスコ講和条約で、日本は北方四島を除く千島列島と南樺太の領有権を放棄させられましたが、同条約にはロシアへの領有権の移管については只の一言も明記されていません。

また、ロシアはサンフランシスコ講和条約の調印国ではない為に、日本が放棄させられた千島列島と南樺太に帰属する国はなく、当然ロシアの領土とは認められていません。

ロシアは、1941年4月13日に調印された日ソ中立不可侵条約を、1941年7月7日の、関東軍特殊演習の日本側の挑発行為により、同条約は事実上の効力が消滅したと主張しています。

しかし、同条約には「有効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間、自動的に延長されるもの」とあります。

1945年4月5日にロシアは、「翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しないことを日本に通達した」との経緯を見ても分かるように、1945年8月9日の時点で同条約は破棄されていませんでした。

ロシアが主張する1945年2月の「ヤルタ会談」は、米・英・ロの三国による秘密会談で、当事国の日本は参加していない事からも国際法上拘束力を持つ条約ではなく、国際社会で認められる会談ではないので、北方四島を含む「千島列島」と「南樺太」を、ロシアは不法占拠しています。

北方四島には、1945年8月15日の時点で、17,291人の日本人が住んでいましたが、ロシアの不法侵略により「北方領土の島民」の生活は一変し、ロシアによる不法占拠後、厳しい監視の目をくぐって故郷の島々を脱出した人もいました。

しかし、多くの島民はそのまま抑留されて、樺太などで非常に苦しい生活を送り、1947年から1949年にかけて日本人は強制的に引き揚げさせられた為に、現在、北方領土は日本の固有領土なのに、日本人は合法的に住めません。




ロシアは日本領土に侵略して日本軍兵士を捕虜とし、シベリアを主体とするソ連領内に強制連行して強制労働をさせて、厳寒のシベリアで満足な食事や休養も与えず、苛烈な強制労働で日本人抑留者が次々と死んでいきました。

ポツダム宣言は、武装解除した日本兵は復員できると保証をしていましたが、共産主義国家建設のためにシベリアなどの開拓に労働力を必要としたロシアは、シベリア抑留により日本人を大虐殺して、10年以上も過酷なシベリア抑留にされた方々もいます。

ロシアの日本人捕虜シベリア抑留は、捕虜のすみやかな返還を明記した「ハーグ陸戦規定」や、「日本国軍隊は、完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられる」と定めた「ポツダム宣言」に反するものです。




あの日本共産党でさえ、全千島列島を北方領土と主張しているのですから、日本政府は四島返還を言い続けても島の一つも戻りませんし、武力で奪われた領土は武力で奪い返す覚悟と、ロシアと対等な軍事力を保持しての対等外交をすべきです。

ロシアは、日本人捕虜虐待(奴隷労働被害)というポツダム宣言違反、強姦・虐殺・暴行・略奪という人道に反する罪などを、日本に対して謝罪すべきで、日本の領土と領海で日本の資源を盗み続けている、火事場泥棒ロシアとの友好はありません。

良識ある日本国民の皆様、北方領土奪還についてご考慮下さい。

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プロフィール

近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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