HOME   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイトYahoo!ブログ過去記事  »  皇紀2672年の紀元節奉祝、八紘一宇・世界全人類の平和を願う、125代のすべての天皇に共通していることは初代「神武天皇」の男系子孫という日本のあり方・国体護持、日の丸を掲げて日本の建国をお祝いしよう
RSSフィード
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



人気ブログランキング ← 最初に、応援のクリックをお願い致します


良識ある日本国民の皆様には、2月11日の紀元節はご存知だと考えます。

本日、2月11日は、2672年目の日本が建国された日で、昭和41年の祝日法改正で「建国記念の日」と定められていますが、日本の正式な呼称では「紀元節」です。

明治5年(1872年)に明治政府は、初代「神武天皇」の御即位をもって日本紀元元年とする旨を定め、明治6年に紀元節は2月11日と定めて、国民の祝日となりました。

「神武天皇とは」

高天原の最高神たる天照大神の御子孫になられます。お名前は「かむやまといはれびこのみこと」、『古事記』では「神倭伊波礼毘古命」、『日本書紀』では「神日本磐余彦尊」と表記されています。

神武天皇は、日向国(現在の宮崎県)にお生まれになりました。この日向国は、天照大神のお孫の神様が、高天原からお降りになられた場所です。お若い時は、日向国の高千穂宮におられました。しかし日向国は西方に片寄ってあるため、日本中を治めるには不都合がありました。

そこで、東方へ都を移したほうが良いであろうとお考えになって日向国を出発、途中の戦で兄君を亡くすなどの艱難辛苦を乗り越え、日本を平定されました。そして大和国(現在の奈良県)の橿原の宮でご即位なさいました。宝算137歳(127歳とも)で崩御され、御陵は畝傍山にあります。

「皇紀とは」

神武天皇が大和の橿原の宮でご即位された年を、皇紀元年と定めた紀元のことですが、皇紀元年とは西暦前660年(BC660年)で、「紀元二千六百年」の歌には「金鵄(キンシ)輝く日本の、栄えある光身に受けて、今こそ祝へこのあした、紀元は二千六百年、ああ一億の胸は鳴る」とあります。

「金鵄とは」

日本書紀の建国神話にある、神武天皇の東征(征とは、正しきを行うという意味)に際し、神武天皇が持つ弓の上端に金色の霊鵄がとまり、金色のまばゆい光を発すると賊の目がくらみ、征に導いたという金色のとびのことです。




建国の神話は日本の歴史を連綿と生き続けて、王朝が次々と交わる国のなかで、奇跡ともいえるほど稀な例となったのは、私たちの祖先が、建国の歴史とともに一系の天皇を戴くことに畏敬の念と誇りを持ち続けたからです。

「日本書紀」によれば、紀元前660年、初代神武天皇が橿原宮(現在の奈良県)で御即位した日を現行暦に直せば2月11日にあたり、反日勢力は根拠がないと否定しますが、「紀元節」は科学的にも立証されています。

「紀元節とは」

2月11日は建国記念の日ですが、大東亜戦争終結直後までは「紀元節」と呼ばれており、紀元節とは、初代「神武天皇」の即位を我が国の紀元元年として奉祝する日のことです。

『日本書紀』によれば、神武天皇の即位の日付は「辛酉年 春正月 庚辰 朔」であり、神武天皇の即位年の「辛酉年」は、『日本書紀』の編年を元に計算すると西暦紀元前660年に相当し、即位月は「春正月」であることから立春の前後で、即位日の干支は「庚辰」です。

そこで、西暦紀元前660年の立春に最も近い「庚辰」の日を探すと、グレゴリオ暦 (太陽暦) 2月11日が特定されました。

なお、「朔」とは新月の日であり、現代の天文学の知識に基づいて「神武天皇」の即位当時の西暦紀元前660年の月齢を計算すると、2月11日は新月に当たり『日本書紀』の記述の正確性は「科学的」にも裏づけられていますし、この特定は、当時の文部省天文局が算出し、暦学者の塚本明毅が精査して行われました。

明治5年(1872年)、明治政府は太政官布告第342号において、神武天皇の即位をもって日本紀元元年とする旨を定め、明治6年(1873年)の太政官布告 第344号において、紀元節は2月11日と定め、また、その他の国民の祝祭日が定められました。

昭和23年に日本占領軍の圧力よって祝祭日の変更があった時、紀元節は世論の多数(81%)に反していったん廃止されましたが、日本が昭和27年に主権を回復して以来、紀元節の復活を求める国民運動が盛り上がり、昭和41年12月の国会で「建国記念の日」として復活しました。




秩父宮殿下による「八紘一宇」の書(宮崎市の平和台公園)

「日本書紀」巻第三神武天皇の条に、「掩八紘而爲宇」<八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と爲(なさ)む>、という言葉がありますが、やがて「八紘一宇(はっこういちう)」として使われるようになりました。

戦後、GHQや反日左翼は、「全世界を、侵略戦争によって天皇を頂点とした1つの国家に統一する」として、日本の侵略戦争のスローガンのようにしていますが、これは事実ではありません。

「八紘一宇とは」

神武天皇が述べられ建国の理想である「八紘一宇」は、「八紘」は天地の四方八方あらゆる方角で世界中みんなということで、「一宇」は一家のことであり、世界中の人々が一家族のように仲良く相和し、扶け合い、生かし合って生きていくという意味です。

世界中の国々の民族が互いに「魂の兄弟」として一つに睦び合い、それぞれの国々にはそれぞれの都があり、それらを兼ねて世界連邦の都をつくり、共存共栄して行こうと、全人類を一家の如く考える平和な思想です。



これまで125代のすべての天皇に共通していることは、初代「神武天皇」の男系子孫ということですが、これが約2700年継続いている男系護持の伝統で、日本のあり方、国体を護持すべきです。

初代「神武天皇」の即位が日本の紀元で、明治憲法第一条には、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、皇室典範には、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めています。

男系とは、天皇の父親が天皇、または天皇の血筋で、父親を遡っていけば、初代「神武天皇」に辿り着くことですが、約2700年継続している皇統は「万世男系」ですから、全ての天皇とは神武天皇の男系子孫になるのです。

第25代「武烈天皇」と第26代「継体天皇」とは10親等の隔たりはありますが、約200年以上遡っていけば、第15代「応神天皇」を同じくする、神武天皇の男系子孫になるので、皇位継承は皇統で万世男系を護持しています。

明治以前に女性天皇は存在しましたが、第37代「斉明天皇」の夫は「舒明天皇」ですから第38代「天智天皇」は男系、第43代「元明天皇」の夫、「草壁皇子」の父は「天武天皇」ですから第44代「元正天皇」も男系、女系継承はありません。




皇室典範を改正して「女性宮家の創設」は、いつの日か、「女系天皇」の容認になる可能性は否定できないのですから、約2700年継続している皇統は、男系による皇位継承を護持すべきです。




皇紀2672年の紀元節を奉祝し、日本の平和と日本民族の繁栄、世界全人類の平和を願いましょう。

良識ある日本国民の皆様、紀元節についてご考慮下さい。

===↓↓ ランキングの応援クリックお願いします ↓↓===


「人気ブログランキング」 http://blog.with2.net/in.php?646336

スポンサーサイト
Relate Entry
Comment
Trackback
Comment form
訪問者数
人気ブログランキング
最新コメント
プロフィール

近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

検索フォーム

PAGE TOP
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。