HOME   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイトYahoo!ブログ過去記事  »  韓国与党議員の「韓日合邦100周年」発言を韓国ネットユーザーが非難、下関条約(日清講和条約)第1条により清国から朝鮮は独立できた、第二次日韓協約に違法はない・日韓併合は強制ではなく合法
RSSフィード
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


人気ブログランキング ← 最初に、応援のクリックをお願い致します


良識ある日本国民の皆様には、韓国与党議員の「韓日合邦100周年」発言を韓国ネットユーザーが非難しているのはご存知だと考えます。

与党議員の「韓日合邦100周年」発言を韓国ネットユーザーが非難

与党セヌリ党の鄭玉任(チョン・オクイム)議員が放送で「韓日合邦100周年」という表現を使用し、非難を浴びている。 

鄭議員は24日朝、MBC(文化放送)ラジオ番組「孫石熙(ソン・ソクヒ)の視線集中」に出演し、「李明博(イ・ミョンバク)政権4年の評価-外交安保分野討論」をテーマに、朴善源(パク・ソンウォン)民主統合党予備候補と論争中、「韓日合邦100周年が超えました」と発言した。これに対し、民主党の朴候補が「韓日合邦100周年という表現は誤りです」と指摘すると、鄭議員は「100年が過ぎたと言いました」と反論した。

最後の発言でも鄭議員が「韓日合邦100年、この表現を正確にします」と話すと、進行者の孫石熙誠信(ソンシン)女子大教授は「正確には韓日強制併合です」と訂正し、鄭議員も「はい、強制併合100年です。有難うございます」と述べた。

これに対しネットユーザーは「朝鮮と日本が結婚したのか?」「これは単なるいい間違いではない」「浅薄な歴史意識」などと非難のコメントを書き込んでいる。
(中央日報)抜粋
http://japanese.joins.com/article/613/148613.html?servcode=A00§code=A10

>鄭議員が「韓日合邦100年、この表現を正確にします」と話すと、進行者の孫石熙誠信(ソンシン)女子大教授は「正確には韓日強制併合です」と訂正し、鄭議員も「はい、強制併合100年です。有難うございます」

またか!、韓国は、1910年(明治43年)の日韓併合を強制併合にしていますが、強制連行・従軍慰安婦・竹島領有権・日本海(東海)呼称など、数々の捏造した歴史問題で、日本の植民地支配による被害者面が出来なくなるからです。

>ネットユーザーは「朝鮮と日本が結婚したのか?」「これは単なるいい間違いではない」「浅薄な歴史意識」などと非難

日韓の歴史の真実を知らないのが韓国人ですが、韓国政府は、朝鮮が清の属国だったこと、1895年の日本と清国との間で結ばれた下関条約により、清国から朝鮮が独立できたことなど、日韓併合の真実を韓国人に教えるべきです。

朝鮮が清の属国だったことは紛れもない事実で、清皇帝から受けた恩に感謝して、清の使者を迎えるために作った「迎恩門」で朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏して清の使者を迎えました。



迎恩門



大清国属高麗国旗(大清国に属する高麗の国旗)

戦争に勝った国は、敗戦国との講和条約の最初の条文には、自国が最も欲することを書き込みますが、日清戦争の戦勝国である日本が下関条約(日清講和条約)の第一条にした文言とは、清国からの領土や賠償金ではありませんでした。



下関条約

下関条約の第一条は、「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」という文言ですから、日本が最も求めたのは朝鮮の清国からの独立で、欧米列強の脅威にさらされていた日本は、朝鮮に独立国家の成立を願いました。



日清戦争後に清から独立して大韓帝国が建てた「独立門」(前には迎恩門の石柱が残っている)

1905年(明治38年)11月17日、日本と韓国が締結した「第二次日韓協約」により、日本は韓国の外交を監理指揮するとされて、大韓帝国は日本の保護国になりました。




歴史を捏造する韓国は、第二次日韓協約の交渉の際に、「大韓帝国の皇帝である高宗が強迫された」・「韓国駐箚軍(日本軍)が王宮前広場で演習を行った」・「皇帝の署名と調印がない」など、違法性を主張しています。

韓国で儒者などによる「騒擾(テロ)」は、日露戦争中の1904年(明治37年)から異常に多く発生して日本を悩ませていましたが、1905年11月の第二次日韓協約交渉中に、韓国皇帝の高宗らが画策して儒者等を扇動していました。




韓国駐箚軍が王宮前広場で演習などを行った日には、李完用学部大臣の邸宅が焼き討ちされる等の状況で、日本はテロ防止の目的から「宮殿を警護」しただけですから、これは高宗への脅迫とはいえません。

また、条約に署名と調印をする者とは、国際法では皇帝でなくても特命全権大使や外務大臣でも良いので、韓国側の外部大臣と日本側の駐韓公使が署名調印した、第二次日韓協約は違法ではありません。




1910年(明治43年)8月22日(調印日:公布29日)、日本と韓国が締結した「日韓併合条約」(韓国併合ニ関スル条約)を、韓国は「強制併合」としていますが、併合はロシアなどに侵略されそうな危機的状況だった韓国側が求めたものです。

日本と韓国は、国際法に則った併合条約を欧米列強諸国の承認の下に締結して、日本が朝鮮半島を植民地にする気ならば、わざわざ韓国の承認を得る必要はなく、武力制圧すればよいので、ここまで平和的な併合は世界にも類を見ない事です。

韓国は、「韓国併合条約には純宗皇帝の署名がなく、署名した李完用総理大臣への全権委任状も強制で無効な条約」と主張していますが、日本側が李完用総理大臣へ強制した事実はありませんし、純宗は廃人同様だったとも言われています。

純宗は、「(皇太子時代)1898年に宮廷内部から排除された親露派が怨みをいだいて紅茶に毒を盛るという陰謀事件があり、そのため廃人同様になってしまった」(日本による朝鮮支配の40年 姜在彦 朝日文庫)など、純宗皇帝に署名する能力があったかは疑わしいとしています。




日韓併合について、日本側は、陸奥宗光、曾禰荒助など反対派、伊藤博文、井上馨など慎重派、桂太郎、山縣有朋など推進派、韓国側も、李容九など推進派、総理大臣の李完用など容認派、両班や儒者など反対派と割れていました。

1909年10月26日に、初代内閣総理大臣、初代韓国統監だった伊藤博文(当時は枢密院議長)を、安重根が暗殺したことは、日本側の日韓併合慎重派の重鎮を一人失ったことで、韓国内の併合推進派に併合推進の口実を与えました。




日韓併合を推進したといってもよい、「李容九」などが率いる文明開化派の最大政治組織「一進会」は、1909年12月4日に「韓日合邦を要求する声明書」を作成して上奏文と請願書を、李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出しました。

「韓日合邦を要求する声明書」

日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。(中略)

伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)

それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。
「1909年12月4日 一進会」(百万の朝鮮人会員)引用

韓国側の併合推進派である一進会は上奏書を却下されても、再度提出を繰り返すことで、桂首相の指示により遂に受け取られたことになり、韓国側で次第に併合に賛成する者が増えて、韓国が懇願した日韓併合へとなりました。

日韓強制併合という韓国人は、下関条約(日清講和条約)により清の属国だった朝鮮が独立できたこと、第二次日韓協約に違法はなくて、日韓併合は合法など、日韓の歴史の真実を知るべきです。

良識ある日本国民の皆様、日韓の歴史の真実についてご考慮下さい。

===↓↓ ランキングの応援クリックお願いします ↓↓===


「人気ブログランキング」 http://blog.with2.net/in.php?646336

スポンサーサイト
Relate Entry
Comment
Trackback
Comment form
訪問者数
人気ブログランキング
最新コメント
プロフィール

近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

検索フォーム

PAGE TOP
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。