HOME   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイトYahoo!ブログ過去記事  »  韓国系の日本の市民団体「壬辰倭乱」反省集会を開催=統営、韓国は豊臣秀吉の朝鮮出兵の史実を捏造して韓国人に被害者教育、解放軍の秀吉軍と朝鮮民衆が明軍と朝鮮支配階級軍と戦ったのが事実で反省は必要なし
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良識ある日本国民の皆様には、日本の市民団体が韓国で豊臣秀吉の朝鮮出兵の反省集会を開くのはご存知だと考えます。

日本の市民団体「壬辰倭乱」反省集会を開催=統営

日本の市民団体が26日、李舜臣(イ・スンシン)将軍の位牌をまつる慶尚南道・統営の忠烈祠で、先祖が起こした朝鮮半島侵略戦争・壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を反省する集会を開く。

 統営忠烈祠財団は20日、日本市民団体で構成された壬辰倭乱反省集会の実行委員会が、26日午前11時半から忠烈祠で「NO MORE!倭乱 in 統営」と題して反省集会を開くと明らかにした。

 実行委員会は、日本近代史を研究する川本良明牧師や在日大韓基督教会小倉教会の朱文洪(チュ・ムンホン)牧師をはじめ、約30人で構成されている。
(聯合ニュース)抜粋
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2012/03/20/0200000000AJP20120320002500882.HTML

>日本市民団体で構成された壬辰倭乱反省集会の実行委員会が、26日午前11時半から忠烈祠で「NO MORE!倭乱 in 統営」と題して反省集会を開く

日本の韓国系市民団体にすべきですが、400年以上も前の豊臣秀吉の朝鮮出兵について何を反省するのか?、従軍慰安婦のように日本政府へ謝罪と賠償を要求するのか^^、韓国人は昨年末にトヨタのCMでも騒いでいました。

トヨタ自動車が過去への回帰を表現した、リボーン(Re BORN)シリーズのCMで、豊臣秀吉をキャラクターに採用して、豊臣秀吉を北野武が、織田信長を木村拓哉が演じたCMを昨年11月に日本国内で放映開始しました。

木村拓哉 CM トヨタ ビートたけし リーボン ReBORN ① 60s(動画)http://youtu.be/0VKOgzMWCDE







韓国メディアは、「トヨタは文禄の役を起こした豊臣秀吉をCMキャラクターに採用して復活をテーマにした広告制作をしたが、秀吉が復活する設定自体が朝鮮侵略の犠牲者の立場である韓国人の感情を刺激した」などと報道しました。

5月開催の「2012年麗水国際博覧会」でも、広報資料に麗水市を「豊臣秀吉の朝鮮侵略を李舜臣の水軍が撃退した場所」などと紹介していましたが、韓国は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の史実を捏造して、韓国人に被害者教育をしています。

倭乱の影響

倭乱でわれわれが勝利をおさめることができたのは、わが民族がもっていた潜在的力量がすぐれていたためである。つまり、官軍次元のわが国防能力は日本に劣っていたが、全国民的次元の国防能力は日本を凌駕した。わが民族は身分の貴賎や男女老若を問わず、文化的な優越感に満たされて自発的な戦闘意識をもっていた。こうした精神力が国防能力に作用して倭軍を撃退させることができる力になった。

 一方、倭乱は国内外的に多くの変化をもたらした。まず、国内的には、長い戦争で人口が激減し、農村はたいへん荒廃した。したがって、国家財政の窮乏と食料不足を解決するための対策として空名帳(貧民救済のために富裕者に官位を売り、その代金の証書……訳者)が大量に発給された。また、李夢鶴の乱のような民乱が各地で起こり、土地台帳と戸籍が多く焼失したために、租税、搖役の徴発と身分の区別が混乱した。

 そして東アジアの文化的後進国であった日本は、朝鮮から活字、書籍、絵画、陶磁器などの文化財を略奪し、多くの技術者と学者等を拉致していった。これとともに朝鮮の性理学も伝えられ、日本の文化発展に大きな影響を及ぼした。
「韓国国定歴史教科書」抜粋
http://f17.aaa.livedoor.jp/~kasiwa/korea/textbook_korea/

韓国人は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の犠牲者の立場としていますが、当時の朝鮮は明の属国で、文禄の役で秀吉軍は、釜山上陸からわずか二十日間で首都・漢城を陥落したのは朝鮮民衆が支援をしたからですし、激戦にもなりませんでした。




文禄の役で豊臣秀吉軍は、李氏朝鮮の支配階級に虐げられていた朝鮮民衆の解放軍として迎え入れられて、多数の朝鮮民衆が秀吉軍に従軍したので、実際に秀吉軍が戦った相手とは、明軍と、明の支援を受けた朝鮮の支配階級軍です。

快進撃の背景には日本軍を解放軍として迎えた朝鮮民衆の支援もあったのだ。
「秀吉が勝てなかった朝鮮武将」貫井正之

『宣祖実録』によれば、「人心怨叛し、倭と同心」するような社会状況の中で、明軍が朝鮮軍支援にかけつけてみると、「斬る所の首級半ば皆朝鮮の民」といったふうだったという。
また、江戸時代末期に日本で書かれた『征韓偉略』によれば、秀吉の軍隊が京城に入城した時、兵士の半ばは朝鮮の民であったという。
また、韓国の教科書には「文化財の被害も大きかった。景福宮が焼け、実録を保管した書庫が消失した」と書かれているが、火をつけたのは朝鮮の民であり、秀吉の軍隊が京城に入る前に、既にそれらの建物は焼け落ちていたのである。
宣祖の京城脱出と同時に、日頃から怨念を抱いていた民衆が略奪・放火をほしいままにしたのであり、「虐げられた朝鮮の民衆にとって、外敵の侵入はまさに解放軍の到来と映った」との指摘すらある。
「日韓・歴史克服への道」下條正男

李氏朝鮮の支配勢力(第14代王宣祖と両班ら)の圧政からの解放を願っていた朝鮮の民衆が、支配をアジア広域に広げようとした秀吉の政策と利害が一致したので、秀吉軍と朝鮮民衆が、明軍と朝鮮支配階級軍と戦ったのが史実です。

文禄の役で朝鮮の民衆に捕らえられた、宣祖の2人の王子、臨海君と順和君は、加藤清正に引き渡されて、清正が礼を尽くしたことから帰還するにあたって、清正に贈った感謝状が紀州徳川家に残っていると伝えられています。

 翌文禄二年、講和談判が開かれるに及んで、秀吉の命令で、両王子を釜山 から首都・京城まで護衛(家臣・九鬼四郎兵衛)をつけて送り還した。両王子は帰還するにあたって感謝状を清正に贈った。
 この書状は今も紀州徳川家に残っている。清正の娘が徳川頼宣の夫人となった縁故から同家に伝えられたものである。それを要約すれば次の通りである。

 <壬辰元年七月二十四日に捕らえられてから礼遇され、厚い保護を受け、衣服糧食を与えられ、至れり尽くせりの待遇を受けた。このたび関白(秀吉公)殿下に上申して釜山から京城まで送り還された。その慈悲は仏のごとくである。
 もし一行のものがこのことを忘れ、後日、日本及び清正公に対し、僅かでも背くようなことがあったら、人情を弁えぬ者であって、天地の神々もこれを知っているであろう。>
「日韓共鳴二千年史」名越二荒之助編著
http://www.tamanegiya.com/nitkann2000.html



加藤清正朝鮮国ニテ猛獣ヲ退治スルノ図 珍齋呂雪絵

韓国は史実の捏造ばかりで、私は本ブログで「沙也可(さやか)」について記事にしましたが、「文禄の役」で二番隊を率いた加藤清正の先鋒武将として、朝鮮に渡った直後に3千人の兵を連れて朝鮮軍に投降したとされています。

「沙也可」は投降した朝鮮に鉄砲などを伝えて、朝鮮軍に加わって日本軍を撃退した、朝鮮に帰化した李王朝の将軍で、韓国では「金忠善(キム・チュンソン)」の名前で呼んでいる、反日の「英雄」としています。

韓国には今でも、沙也可の子孫と名乗る者が住んでいますが、朝鮮総督府の調査でも日本人ではないとされて、正体不明の「沙也可」については、朝鮮の「李朝実録」宣祖30年(1597年)の4行目に、「僉知(官名)沙也可」とあるだけです。



僉知沙也可

日本の韓国系市民団体が秀吉の朝鮮出兵の反省集会を開きますが、韓国が朝鮮出兵の史実を捏造して被害者面をしても、解放軍として迎え入れられた秀吉軍と朝鮮民衆が明軍と朝鮮支配階級軍と戦ったのが事実で、反省することは何もありません。

良識ある日本国民の皆様、秀吉の朝鮮出兵についてご考慮下さい。

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近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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