HOME   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイトYahoo!ブログ過去記事  »  韓国系団体の慰安婦問題謝罪要求広告が米紙掲載、「日本はドイツの行為から学ぶ必要がある」は「日王も韓国へ来てひざまずいて謝罪せよ」のことだ、日本が加害者なら韓国は被害者ではなく共犯者になることを理解しろ
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良識ある日本国民の皆様には、韓国系団体の慰安婦問題謝罪要求広告が米紙に掲載されたのはご存知だと考えます。
 
 
慰安婦問題で謝罪要求 韓国系団体、米紙に広告
 
第2次大戦中の従軍慰安婦問題に対し適切な謝罪や補償をしていないと日本政府を批判し、一刻も早く「慰安婦に心のこもった謝罪をしなければならない」とする韓国系団体の全面意見広告が29日付の米紙ニューヨーク・タイムズに掲載された。

 「覚えていますか?」と題した広告は、1970年に西ドイツのブラント首相がワルシャワのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)慰霊碑前でひざまずいている写真を掲載し「この行為は、ドイツが世界との和解を真摯に請う象徴となった」と説明。「日本はドイツの行為から学ぶ必要がある」とした。
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012053001000757.html
 
 
 
>一刻も早く「慰安婦に心のこもった謝罪をしなければならない」とする韓国系団体の全面意見広告が29日付の米紙ニューヨーク・タイムズに掲載された
 
韓国人は、一刻も早く「米国での韓国人売春婦」の謝罪広告を掲載すべきです。
 
米国で、韓国人女性が売春で摘発されるのは珍しいことではありません。
 
しかし、売春の店舗に日本の地名を使ったことや、日本人女性に成りすましたこともありました。
 
 

 
>「覚えていますか?」と題した広告は、1970年に西ドイツのブラント首相がワルシャワのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)慰霊碑前でひざまずいている写真を掲載し「この行為は、ドイツが世界との和解を真摯に請う象徴となった」と説明
 
今度は従軍慰安婦でブラント首相か!
 

 
 
韓国人は、天皇陛下を「日王」と呼んで侮辱しています。
 
韓国の反日デモでは、天皇陛下の御真影を燃やしたり、踏みつけたりしています。
 

 

 
 
このような状況でも韓国政府は、天皇陛下のご訪韓を求め続けています。
 
英国のタイムズ紙が2008年11月11日、李明博大統領「天皇明仁は韓国訪問時にひざまづいて謝るべき」というタイトルで、李明博のインタビューを報道しました。
 
私は本ブログ2008年の記事にしましたが、ブラント首相を例にしたことを翌日には、人民網日本語版も報道をしました。
 
大統領府は、「謝罪という直接的な表現はなかった」など、李明博のインタビュー記事を訂正しましたが、天皇陛下に謝罪を求めるような内容でした。
 
>「日本はドイツの行為から学ぶ必要がある」とした
 
またか(――;)
 
韓国人は、ドイツと日本を比較すること自体が誤りだということを理解していません。
 
ナチス・ドイツのポーランド占領と、日本が韓国を併合していたことは、国際法上・人道上でも全く異なるのは明白なる事実です。
 
1938年3月に、ドイツがオーストリアに侵攻して全土を占領しました。
 
ドイツに併合されたオーストリアは、僅か6年の併合期間でしたが、戦後に、「ナチスのドイツの共犯者の国でもある」などと認めて謝罪しています。
 
韓国人は、日韓併合より大東亜戦争終結までの日本を加害者に仕立て上げて、韓国を被害者にしています。
 
大東亜戦争は自衛とアジア解放のための聖戦でしたが、日本が加害者になるのであれば、韓国は被害者ではなく共犯者になることを理解していません。
 
韓国という国家が、現在まで存続できていることとは、日本という国家によるものだという史実を韓国人は理解していません。
 
1895年(明治28年)に、日本と清国との間で結ばれた下関条約で、清の属国だった朝鮮は清国から独立ができました。
 

清皇帝から受けた恩に感謝して、清の使者を迎えるために作った「迎恩門」、朝鮮王は9回頭を地面に叩きつけひれ伏して清の使者を迎えた
 

大清国属高麗国旗(大清国に属する高麗の国旗)
 
 
 
戦争に勝った国とは、敗戦国との講和条約の最初の条文には、自国が最も欲することを書き込みます。
 
日清戦争の戦勝国である日本が、下関条約(日清講和条約)の第一条にした文言とは、清国からの領土や賠償金ではありません。
 
下関条約の第一条は、「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」という文言で、日本が最も求めたのは朝鮮の清国からの独立でした。
 
 

下関条約
 
 
欧米列強の脅威にさらされていた日本は、朝鮮には独立国家の成立を願いました。
 
 

日清戦争後に清から独立して大韓帝国が建てた「独立門」(前には迎恩門の石柱が残っている)
 
 
しかし、一人歩きの出来ない朝鮮は、清国からの独立から、わずか10年後に日本の保護国になりました。
 
1905年(明治38年)11月17日、日本と韓国は、「第二次日韓協約」を締結しました。
 

 
 
韓国は、第二次日韓協約の交渉の際、「大韓帝国の皇帝である高宗が強迫された」・「韓国駐箚軍(日本軍)が王宮前広場で演習を行った」・「皇帝の署名と調印がない」など、協約は違法だと主張しています。
 
韓国では、儒者などによる「騒擾(テロ)」が、日露戦争中の1904年(明治37年)から異常に多く発生して日本を悩ませていました。
 
1905年11月の第二次日韓協約の交渉中に、韓国皇帝の高宗らが画策して儒者等を扇動していました。
 
韓国駐箚軍が王宮前広場で演習などを行った日には、李完用学部大臣の邸宅が焼き討ちされる等の状況でした。
 

 
日本は、テロ防止の目的から「宮殿を警護」しただけですから、これは高宗への脅迫ではありません。
 
また、条約に署名と調印をする者とは、国際法では皇帝でなくても特命全権大使や外務大臣でも合法です。
 
韓国側の外部大臣と日本側の駐韓公使が署名調印した、第二次日韓協約は違法ではありません。
 
第二次日韓協約により、日本は、韓国の外交を監理指揮するとされて、大韓帝国は日本の保護国になりました。
 
1910年(明治43年)8月22日(調印日:公布29日)、日本と韓国は、「日韓併合条約」(韓国併合ニ関スル条約)を締結しました。
 

 
「日韓併合条約」により韓国は、日本国朝鮮地方になって、朝鮮人は日本国民になりました。
 
韓国は「強制併合」と主張していますが、日韓併合は、ロシアなどに侵略されそうな危機的状況だった韓国側が求めたものです。
 
日本と韓国は、国際法に則った併合条約を、欧米列強諸国の承認の下に締結しています。
 
日本が朝鮮半島を植民地にする気があれば、わざわざ韓国の承認を得る必要はなく、武力制圧すればよいので、ここまで平和的な併合は世界にも類を見ない事です。
 
韓国は、「韓国併合条約には純宗皇帝の署名がなく、署名した李完用総理大臣への全権委任状も強制で無効な条約」と主張しています。
 
日本側が李完用総理大臣へ強制した事実はありませんし、条約に署名と調印をする者とは、国際法では皇帝でなくても特命全権大使でも合法です。
 
純宗は廃人同様だったとも言われているので、純宗皇帝に署名する能力があったかは疑わしいのです。
 
「(皇太子時代)1898年に宮廷内部から排除された親露派が怨みをいだいて紅茶に毒を盛るという陰謀事件があり、そのため廃人同様になってしまった」
(日本による朝鮮支配の40年 姜在彦 朝日文庫)
 
日韓併合について、日本側は、陸奥宗光、曾禰荒助など反対派で、伊藤博文、井上馨などが慎重派ですが、桂太郎、山縣有朋などは推進派でした。
 
韓国側は、李容九などが推進派で、総理大臣の李完用などは容認派ですが、両班や儒者などは反対派で割れていました。
 
1909年10月26日に、初代内閣総理大臣、初代韓国統監だった伊藤博文(当時は枢密院議長)を、安重根が暗殺しました。
 

 
伊藤博文という、日本側の日韓併合慎重派の重鎮を一人失ったことで、韓国内の併合推進派に併合推進の口実を与えました。
 
日韓併合を推進したといってもよい、「李容九」などが率いる文明開化派の最大政治組織「一進会」は、1909年12月4日に「韓日合邦を要求する声明書」を作成しました。

 
「韓日合邦を要求する声明書」
 
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。(中略)
 
伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)
 
それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。
1909124日 一進会」(百万の朝鮮人会員)引用
 
 
「一進会」は、上奏文と請願書を、李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出しました。
 
一進会は上奏書を却下されましたが、再度提出を繰り返すことで、桂首相の指示により遂に受け取られたことになりました。
 
韓国側では、次第に日韓併合に賛成する者が増えて、韓国が懇願した日韓併合になりました。
 
日韓併合で、日本国内で暮らす朝鮮人には参政権も被参政権も与えられました。
 
2回も代議士になった「朴春琴」 や、帝国議会の貴族院にいた「朴泳孝」など、大東亜戦争末期には、なんと7人もの朝鮮人が帝国議会の議席を得ていました。
 

衆議院議員当選を祝う朴春琴(中央の人物)
 
朝鮮人は、志願制が導入される以前から士官学校に入学して、日本軍の士官になる事も許されていました。
 
戦場に行くことを望んでニューギニア戦線で戦い少尉になった「崔慶禄」や、日本陸軍の中将にまでなった「洪思翊」もいました。
 

 
昭和13年、陸軍特別志願兵制度が実施されると、募集人員に対して朝鮮人の応募者が殺到しました。
 
昭和17年には、4.077人の募集に254.273人が応募して、なんと62.4倍もの朝鮮人が応募をしています。
 
大東亜戦争に、自らの意思で進んで軍人、軍属として出征した朝鮮人は約24万人で、そのうち21000人余りが戦死して、今も靖国神社に祀られています。
 
これまで韓国は、ヴィリー・ブラント元首相がポーランドを訪問した際、ユダヤ人犠牲者の記念碑(ゲットー英雄記念碑)で、ひざまずいて謝った事を持ち出します。
 

 
 
韓国人は「ドイツに学べ」と主張しますが、韓国人は歴史の事実を理解出来ないからで、「日王も韓国へ来てひざまずいて謝罪せよ」と、天皇陛下のご訪韓による謝罪を求めているのです。
 
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近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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