HOME   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイトYahoo!ブログ過去記事  »  韓国人が日韓併合の歴史を知らない日本人が増えていると発言、反日の韓国との友好はないが日韓の子供には朝鮮が清の属国だったことや下関条約により清国から朝鮮が独立できたことなど日韓併合の真実を教えるべきだ
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良識ある日本国民の皆様には、韓国人が日韓併合の歴史を知らない日本人が増えていると発言したのはご存知だと考えます。
 
【韓国BBS】最近、日韓の歴史を知らない日本人が増えている
 
韓国のコミュニティサイト「ガセンイドットコム」の掲示板に「韓国を統治したという事実さえ知らない日本人が多い」とのスレッドが立てられたところ、さまざまな意見が寄せられた。

スレ主は、過去に日本が韓国を統治したという事実を全く知らない日本人たちが増えているとして、特に日本の若者たちは最初から関心もないと述べた。また、韓国の若者も朝鮮戦争がどのように起きたのか分からない人が多く、友人とのおしゃべりやショッピング、飲み会にカラオケやでクラブ街などで遊ぶのに忙しいと批判した。

  スレッドには、スレ主に同意する意見が並んだ。

・「日本の子どもたちが歴史に無知なのかどうかは分からない。ただ、自分たちの国がどれだけ悪いことをしてきたのか知らされていないだけだろう」
・「日本人は、武力で強制的に占領したことを統治という情けない人々。そして解放記念日ではなく光復節」
・「そう、光復の意味は、失われた主権を取り戻したということで、解放よりも高いレベルの概念で使われる言葉」
・「合法的に支配したわけでもないのに、統治はおかしいよね」
・「日本は米国と戦ったことを知らない子どもたちも多いです。『え?日本が米国と戦った?当然負けることを分かっていて、なぜ? 』という反応」
(サーチナ)抜粋
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0726&f=national_0726_046.shtml
 
>過去に日本が韓国を統治したという事実を全く知らない日本人たちが増えているとして、特に日本の若者たちは最初から関心もないと述べた
 
「独立門」の由来さえ知らない韓国人に言われたくはありません。
 
しかし、マスコミが捏造している韓流ブームに騙されている日本人もいます。
 
義務教育課程で韓国が竹島を奪った際、日本人の血と涙が流れたことを教えないので、日韓併合の真実を知らない日本人は増えているでしょう。
 
>「日本の子どもたちが歴史に無知なのかどうかは分からない。ただ、自分たちの国がどれだけ悪いことをしてきたのか知らされていないだけだろう」
 
ベトナム戦争での韓国軍の残虐行為を知らない韓国人に言われたくはありません。
 
それに、日本の子供たちは史実に反する教育を受けています。
 
子供たちは、文科省の左翼官僚・日教組・全教など、教育界に巣くう赤い思想の悪魔に、日本は韓国を侵略して植民地支配したと教育されています。
 
広島県立世羅高校の韓国への修学旅行で、独立運動記念公園で生徒に「日帝侵略と植民地蛮行を謝罪する文章」を朗読させ、居並ぶ韓国人に向かって、生徒に膝をつかせて謝罪をさせました。
 

 
>日本人は、武力で強制的に占領したことを統治という情けない人々
 
>合法的に支配したわけでもないのに、統治はおかしいよね

こんなことを主張しているのは、韓国・北朝鮮という反日国家と、日本に巣くう在日韓国・朝鮮人、反日左翼だけです。
 
日韓の子供たちには、朝鮮が清の属国だったことや、下関条約により清国から朝鮮が独立できたことなど、日韓併合の真実を教えるべきです。
 
4世紀頃(391年、倭が、海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった「広開土王碑」)から663年の「白村江の戦い」までの朝鮮半島は、九州などと同様に日本(倭国)の一部でした。
 

 
朝鮮の歴史 

4
世紀 日本(倭)の一国。
7世紀 :唐の属国。
13世紀 モンゴルの属国。
14世紀 :明の属国。
17世紀 :清の属国。
20世紀 前半:日本国。
20
世紀 後半:北半分がソ連、南半分がアメリカの属国。
 

 
清皇帝から受けた恩に感謝して、清の使者を迎えるために作った「迎恩門」、朝鮮王は9回頭を地面に叩きつけひれ伏して清の使者を迎えた
 

 
大清国属高麗国旗(大清国に属する高麗の国旗)
 
1895年(明治28年)に、日本と清国との間で結ばれた下関条約で、清の属国だった朝鮮は清国から独立ができました。
 
戦争に勝った国とは、敗戦国との講和条約の最初の条文には、自国が最も欲することを書き込みます。
 
日清戦争の戦勝国である日本が、下関条約(日清講和条約)の第一条にした文言とは、清国からの領土や賠償金ではありません。
 
下関条約の第一条は、「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」という文言で、日本が最も求めたのは朝鮮の清国からの独立でした。
 

下関条約
 
欧米列強の脅威にさらされていた日本は、朝鮮には独立国家の成立を願いました。
 

 
日清戦争後に清から独立して大韓帝国が建てた「独立門」(前には迎恩門の石柱が残っている)
 
しかし、一人歩きの出来ない朝鮮は、清国からの独立から、わずか10年後に日本の保護国になりました。
 
1905年(明治38年)11月17日、日本と韓国は、「第二次日韓協約」を締結しました。
 

 
 
韓国は、第二次日韓協約の交渉の際、「大韓帝国の皇帝である高宗が強迫された」・「韓国駐箚軍(日本軍)が王宮前広場で演習を行った」・「皇帝の署名と調印がない」など、協約は違法だと主張しています。
 
韓国では、儒者などによる「騒擾(テロ)」が、日露戦争中の1904年(明治37年)から異常に多く発生して日本を悩ませていました。
 
1905年11月の第二次日韓協約の交渉中に、韓国皇帝の高宗らが画策して儒者等を扇動していました。
 
韓国駐箚軍が王宮前広場で演習などを行った日には、李完用学部大臣の邸宅が焼き討ちされる等の状況でした。
 

 
日本は、テロ防止の目的から「宮殿を警護」しただけですから、これは高宗への脅迫ではありません。
 
また、条約に署名と調印をする者とは、国際法では皇帝でなくても特命全権大使や外務大臣でも合法です。
 
韓国側の外部大臣と日本側の駐韓公使が署名調印した、第二次日韓協約は違法ではありません。
 
第二次日韓協約により、日本は、韓国の外交を監理指揮するとされて、大韓帝国は日本の保護国になりました。
 
1910年(明治43年)8月22日(調印日:公布29日)、日本と韓国は、「日韓併合条約」(韓国併合ニ関スル条約)を締結しました。
 

 
 
「日韓併合条約」により韓国は、日本国朝鮮地方になり、朝鮮人は日本国民になりました。
 
韓国は「強制併合」と主張していますが、日韓併合は、ロシアなどに侵略されそうな危機的状況だった韓国側が求めたものです。
 
日本と韓国は、国際法に則った併合条約を、欧米列強諸国の承認の下に締結しています。
 
日本が朝鮮半島を植民地にする気があれば、わざわざ韓国の承認を得る必要はなく、武力制圧すればよいので、ここまで平和的な併合は世界にも類を見ない事です。
 
韓国は、「韓国併合条約には純宗皇帝の署名がなく、署名した李完用総理大臣への全権委任状も強制で無効な条約」と主張しています。
 
日本側が李完用総理大臣へ強制した事実はありませんし、条約に署名と調印をする者とは、国際法では皇帝でなくても特命全権大使でも合法です。
 
純宗は廃人同様だったとも言われているので、純宗皇帝に署名する能力があったかは疑わしいのです。
 
「(皇太子時代)1898年に宮廷内部から排除された親露派が怨みをいだいて紅茶に毒を盛るという陰謀事件があり、そのため廃人同様になってしまった」
(日本による朝鮮支配の40年 姜在彦 朝日文庫)
 
日韓併合について、日本側は、陸奥宗光、曾禰荒助など反対派で、伊藤博文、井上馨などが慎重派ですが、桂太郎、山縣有朋などは推進派でした。
 
韓国側は、李容九などが推進派で、総理大臣の李完用などは容認派ですが、両班や儒者などは反対派で割れていました。
 
1909年10月26日に、初代内閣総理大臣、初代韓国統監だった伊藤博文(当時は枢密院議長)を、安重根が暗殺しました。
 

伊藤博文・安重根
 
伊藤博文という、日本側の日韓併合慎重派の重鎮を一人失ったことで、韓国内の併合推進派に併合推進の口実を与えました。
 
日韓併合を推進したといってもよい、「李容九」などが率いる文明開化派の最大政治組織「一進会」は、1909年12月4日に「韓日合邦を要求する声明書」を作成しました。
 
「韓日合邦を要求する声明書」
 
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。(中略)
 
伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)
 
それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。
1909124日 一進会」(百万の朝鮮人会員)引用
 
「一進会」は、上奏文と請願書を、李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出しました。
 
一進会は上奏書を却下されましたが、再度提出を繰り返すことで、桂首相の指示により遂に受け取られたことになりました。
 
韓国側では、次第に日韓併合に賛成する者が増えて、韓国が懇願した日韓併合になりました。
 

 
日韓併合により日本は、現在の試算で約20兆円もの莫大な資金を朝鮮半島に投入して、朝鮮の近代化に尽力をしました。
 
朝鮮は、日本統治前とは比べられないほど、医療・教育・生活などの水準が高まりました。
 
日本による朝鮮への諸政策の結果、朝鮮では1920年~30年代のGDP平均成長率は約4%(1920年代の世界経済は2%以下・日本は3%強)まで高まりました。
 
朝鮮の1人当たりの国民所得は、1910年代の約40ドルから約80ドルまで倍増しました。
 
耕作地は、246万町から449万町まで拡大して、米の反当り収穫量は、0.5石から1.5石までと3倍増になりました。
 
朝鮮人の人口は、1300万人から2600万人に増加して、平均寿命は24歳から56歳まで延びました。
 
日本は、それまで朝鮮で続いていた、階級による身分差別の撤廃、両班による搾取・虐待から農民を救い、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法を廃止するなど、人権尊重の法治国家の基礎をつくりました。
 
日本は朝鮮へ学校教育制度を導入して、朝鮮総督府は小学校段階からハングルを教える教科書を用意し、日本が建てた5200校の小学校で朝鮮人に読み書きを教えました。
 

 

 
日本は朝鮮人から言葉を奪うどころか、朝鮮人が母国語の読み書きができるように文字を整備・普及をさせて、85%の朝鮮人に、創氏改名を許可しました。
 
日本の委任統治時代、1920年代のパラオの町並みの写真の右側にある店舗には、韓国人が日韓併合により奪われたと歴史を捏造している、ハングル文字の看板があります。
 

 
日韓併合で、日本国内で暮らす朝鮮人には参政権も被参政権も与えられました。
 
2回も代議士になった「朴春琴」 や、帝国議会の貴族院にいた「朴泳孝」など、大東亜戦争末期には、なんと7人もの朝鮮人が帝国議会の議席を得ていました。
 

衆議院議員当選を祝う朴春琴(中央の人物)
 
朝鮮人は、志願制が導入される以前から士官学校に入学して、日本軍の士官になる事も許されていました。
 

日本陸軍の「洪思翊」中将
 
反日国家の韓国との友好はありませんが、日韓の子供たちには、日韓併合の真実を教えるべきです。
 
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近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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