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良識ある日本国民の皆様には、8月9日の反ロシアデーはご存知だと考えます。
 
玄葉外相 「犬外交」でプーチン表敬実現も北方領土NGの条件
 
8月9日は「反ロシアデー」だ。1945年の同日にソビエト連邦が日ソ中立条約を破棄して対日宣戦布告し、その後に北方領土を占領した。例年この日は、駐日ロシア大使館前などで大規模な抗議活動が行なわれる。しかし、抗議が盛り上がっても日露首脳による領土交渉は行き詰まったままだ。外務省が対ロ外交で失態を続ける実態を元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏が解説する。
(SAPIO2012年8月22・29日号)抜粋
http://www.news-postseven.com/archives/20120809_136341.html
 
89日は「反ロシアデー」だ
 
大東亜戦争の終結間近、1945年(昭和20年)8月9日、ロシア(旧ソ連)が日本の領土へ侵略を開始しました。
 
毎年8月9日は、「反ロシアデー(反ロデー)」(ソ連時代は反ソデー)で、全国の民族派では在日ロシア大使館・領事館などへ、北方領土返還・日本人大虐殺の謝罪を求める抗議活動を行なっています。
 
反ロシアデーは、国民運動の日とすべきです。
 
反中共デー  9月29日 日本と中共との国交樹立の日
 
反韓国デー 10月28日 韓国が竹島を不法占拠した日
 
私たち民族派の指す北方領土とは、政府見解の、国後・択捉・歯舞・色丹の北方四島だけではなくて、北方四島を含む「全千島列島」と「南樺太」です。
 
あの日本共産党でさえ、「全千島列島」を北方領土と主張しているのですから、日本政府は四島返還を主張しても、島は一つも戻りません。
 
1855年に、「日ロ通好条約」(日露和親条約)を締結しました。
 
日ロ両国の国境は択捉島(えとろふとう)以南(南千島列島)を日本領、得撫島(うるっぷとう)以北(北千島列島)をロシア領として確定しました。
 
樺太には国境を定めずに、日ロ両国民雑居の地としました。
 
1875年に、「千島・樺太交換条約」を締結しました。
 
日本は国境が未確定だった樺太全島に対する領有権を放棄する代わりに、占守島(しゅむしゅとう)までの北千島列島の領有権を得ました。
 
これにより、「全千島列島」は日本の領土になりました。
 
1905年に、「ポーツマス講和条約」を締結しました。
 
日本は、日ロ戦争の戦時賠償として、北緯50度以南の樺太を得ました。
 
これにより、「南樺太」は日本の領土になりました。
 

 
 
ソ連は、大東亜戦争の終結間近、1945年(昭和20年)8月9日に、日ソ中立不可侵条約(日ソ中立条約には相互不可侵の条文がある為)を一方的に破棄しました。
 
そして、ロシア(旧ソ連)が、日本の領土へ侵略を開始しました。
 

 
昭和20年8月8日付、日ソ中立不可侵条約を一方的に破棄した「ソ連の対日宣戦布告通知書」
 
ロシアの侵略はまさに鬼畜そのもので、民間人の大量虐殺や、強盗同然の強奪行為、日本人女子への集団強姦など、多くの日本人が犠牲となりました。
 
ロシアの不法な侵略で、日本人は悲惨な思いをさせられました。
 
夫と子供の前で、ロシア兵は日本人女性を集団強姦し、その裸体を切り裂き虐殺して、裸の女性の死体を戦車に吊るして侵略をしたのがロシアです。
 

 
 
8月15日に大東亜戦争が終結して、日本はポツダム宣言を受託しました。
 
3日後の8月18日、ロシアは千島列島への攻撃を開始して、9月には歴史上1度も他国の領土になったことがない「北方四島」も占領しました。
 

 
 
北千島占守島の戦い(日本軍最後の戦い)
父祖の体験です! 忘れないで下さい! 子孫に伝えて下さい!
 
日本国は1945年(昭和20年)8月15日の天皇の詔勅により、すべての戦争は終わったと思われていますが、事実はそうではなかったのです。
 
日本の固有領土の一番北の端であった、北千島の占守島(シュムシュ島)で戦争が行われていたのです。
 
終戦を迎えた8月15日から三日経った8月18日の早暁午前1時頃に、終戦による武装解除の準備を進めていた占守島の日本軍に対し、ソ連軍が突如、猛烈な砲撃の下に奇襲上陸を開始し、攻撃を仕掛けてきたのでした。
 
やむなく日本軍は解除準備を始めていた武装を整え直し、自衛戦闘を行ったのです。
 
戦闘は激烈を極め、日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3,000名におよび、日本軍が有利な状況で、上陸部隊を殲滅する体制でしたが、ポツダム宣言受諾後の戦いであり、自衛を目的とした戦闘であったため、上級部隊からの命令で、8月21日に戦闘が終結した、日本軍最後の戦です。
 
この戦いのことを、ソ連政府機関紙イズベスチアは「占守島の戦いは、満州・朝鮮における戦闘よりもはるかに損害は甚大であった。八月十九日はソ連人民にとって悲しみの日である」と述べています。
 
なぜ、終戦三日後にソ連軍は強襲上陸進攻を強行したのでしょうか、終戦までこの地域では、陸上戦闘こそありませんでしたが、この頃の日本軍は本土防衛のための兵力転用が行われていました。
 
この移動のための輸送船や舟艇等に対する砲爆撃、及び、千島列島に配備された日本軍に対する砲爆撃は米海軍によって行われ、終戦三日前の8月12日には、配備変更のため温禰古丹島から占守島に漁船で移動中の日本軍の独立臼砲部隊が米艦隊の砲撃により全滅させられ、88名に上る戦死者を出しています。
 
このように米軍の戦闘実績のある千島列島であり、また、いかにヤルタ会談での秘密協定で千島列島をソ連に引き渡すという米・英国の言質を得ていたとしても、カイロ宣言に違反する行為である日本固有領土の千島列島を米・英国がソ連に引き渡すということを、ソ連は米・英国が本当に実行するか否かは疑問を持っていたに違いありません。
 
そこでソ連軍は、自ら戦闘により、即ち血と肉で千島を占領して、千島列島の占領を確実なものにしようとして、日本国がポツダム宣言を受諾した後の8月15日からあわただしく準備して、奇襲上陸をしてきたものと思われます。
 
また、その後にソ連が米国に対して行った北海道の分割統治の要求を行ったという事実からみると、千島侵攻がうまく行けば一気に北海道まで侵攻しようとする意図があったものと思われます。
 
この点から考えると、この占守島の戦いによりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了したので、ドイツや朝鮮半島に見るような北海道の米国・ソ連による分割統治は避けられたのであり、日本としては大きな意義のある戦いでした。
 
しかしながら、この戦いの後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、ソ連軍に対していかなる戦闘をもしていない、中千島や南千島に駐留していた兵士たちまでもすべて、シベリアを主体とするソ連領内に連行され、数年にわたり給養の悪い状態で強制労働に従事させられたのでした。
 
そして、その1割の兵士は、栄養失調と疲労のために亡くなっているのです。
 
戦争が終わったのに、その三日後に不本意ながら戦って戦死した方々、終戦後も不法に長期間にわたってシベリア等の極寒の僻地で強制労働に従事させられた方々、そしてその地で亡くなられた多くの方々、この様な方々がおいでになった事は日本人として決して忘れてはなりません。
 
 
ロシアは日本領土に侵略して日本軍兵士を捕虜とし、シベリアを主体とするソ連領内に強制連行して強制労働をさせました。
 
厳寒のシベリアで満足な食事や休養も与えず、苛烈な強制労働で日本人抑留者が次々と死んでいきました。
 
ポツダム宣言は、武装解除した日本兵は復員できると保証をしていました。
 
しかし、共産主義国家建設のためにシベリアなどの開拓に労働力を必要としたロシアは、シベリア抑留により日本人を強制労働させて大虐殺しました。
 
ロシアの不法行為により、10年以上も過酷なシベリアに抑留にされた方々もいます。
 

 

 

 
 
大東亜戦争終結後、1951年のサンフランシスコ講和条約で、日本は北方四島を除く千島列島と南樺太の領有権を放棄させられました。
 
しかし、同条約にはロシアへの領有権の移管については、只の一言も明記されていません。
 
また、ロシアはサンフランシスコ講和条約の調印国ではない為に、日本が放棄させられた千島列島と南樺太に帰属する国はありません。
 
千島列島と南樺太は、ロシアの領土とは認められていません。
 
ロシアは、1941年4月13日に調印された日ソ中立不可侵条約を、1941年7月7日の、関東軍特殊演習の日本側の挑発行為により、同条約は事実上の効力が消滅したと主張しています。
 
しかし、同条約には「有効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間、自動的に延長されるもの」とあります。
 
1945年4月5日にロシアは、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しないことを日本に通達したのです。
 
この経緯でも分かるように、1945年8月9日の時点で同条約は破棄されていませんでした。
 
ロシアが主張する1945年2月の「ヤルタ会談」は、米・英・ロの三国による秘密会談です。
 
当事国の日本は参加していない事からも、国際法上拘束力を持つ条約ではありません。
 
国際社会で認められる会談ではないので、北方四島を含む「千島列島」と「南樺太」を、ロシアは不法占拠しています。
 
北方四島には、1945年8月15日の時点で、17,291人の日本人が住んでいました。
 
しかし、ロシアの不法侵略により北方領土の島民の生活は一変しました。
 
ロシアによる不法占拠後、厳しい監視の目をくぐって故郷の島々を脱出した人もいました。
 
しかし、多くの島民はそのまま抑留されて、樺太などで非常に苦しい生活を送りました。
 
1947年から1949年にかけて、日本人は強制的に引き揚げさせられた為に、現在、北方領土は日本の固有領土なのに、日本人は合法的に住めません。
 

 
 
あの時のことは、何故忘れ去られたのか?1/13(動画)
 
 
 
あの時のことは、何故忘れ去られたのか?13/13(動画)
 
 
ロシアは軍事力を背景にしては、これまでにも紛争相手国にロシアの国益を最大限に求めてきました。
 
相手国が弱腰となり、国際社会も問題視しなければ、ロシアは紛争相手国に求めた国益を得ているのです。
 
日本は、武力で奪われた領土は武力で奪い返す覚悟と、ロシアと対等な軍事力である核武装をして、領土返還交渉をすべきです。
 
ロシアは、日本人捕虜虐待(奴隷労働被害)というポツダム宣言違反や、強姦・虐殺・暴行・略奪という人道に反する罪などを、日本に対して謝罪すべきです。
 
日本の領土と領海で、日本の資源を盗み続けている、火事場泥棒のロシアとの友好はありません。
 
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プロフィール

近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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