HOME   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイトYahoo!ブログ過去記事  »  「明治節」を迎え日本国民として心より慶祝を申し上げます。11月3日は明治節に戻し「教育勅語」復活を、近代日本の礎をお築きになられた明治天皇の御遺徳を偲ぶ意味でも明治節の精神を永久に子々孫々へ伝えよう!
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良識ある日本国民の皆様には、明治節はご存知だと考えます。
 
11月3日は「文化の日」ですが、昭和21年11月3日、押し付け占領憲法が公布された日です。
 

 
11月3日は、明治天皇の御生誕日で、大東亜戦争終結までは「明治節」として、新年・紀元節・天長節とともに奉祝する日でした。
 

 
 
 
昭和23年7月20日に祝日法が公布され、11月3日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」の趣旨によって祝日「文化の日」となりました。実はこの日は明治天皇のお誕生日にあたり、戦前は明治節と呼ばれていたのです。

 はじめに明治の元号について説明します。元号とは年につける称号で、漢の武帝※1(紀元前159~87)の時代に「建元」と号したのにはじまり、日本でもこれに倣い西暦645年に「大化」と号したのが最初でした。しかし中国では中華民国の成立(1912年)とともに元号は途絶え、周辺諸国も諸王朝の滅亡とともに元号が廃止されてしまい、現在、元号が使用されているのは世界で日本だけとなっています。また明治以前までは元号が頻繁に変わっていましたが、たびたび改元されるのは好ましい伝統ではないと、江戸時代の学者たちから意見が出てくるようになりました。

 明治維新になり、岩倉具視はこれらの学者の意見を採用して、天皇一代の間は1つの元号にする制、つまり一世一元を制定したのです。そして明治の改元にあたっては学者の松平慶永※2がいくつか選び、それを慶応4年(明治元年)9月7日の夜、宮中賢所※3において、その選ばれた元号の候補の中から、明治天皇御自らくじを引いて御選出されました。そして翌8日の一世一元の詔(みことのり)で「明治」と改元されたのです。

 さて、次に本題の明治節について説明します。11月3日は先ほども説明しましたように、明治天皇のお誕生日です。戦前までは天皇誕生日は「天長節」※4と呼ばれていました。ですから戦前も今と同じように祝祭日として天長節(天皇誕生日)はお祝いされていたのです。ところが明治45年7月30日、明治天皇が崩御※5され、大正天皇が践祚※6されますと、天長節は大正天皇のお誕生日の日にあらためられて、11月3日は普通の日になってしまったのです。
 
しかし国民から、明治天皇のご偉業を永遠に伝えていくためにも11月3日を祝日にしたいという運動が起きてきました。崩御直後の新聞には11月3日をどのように保存して行くべきか、アンケートを実施しているほどです(『国民新聞』大正元年8月13日~27日「11月3日を如何に保存すべき乎」)。そして、この中で圧倒的に多かったのが「明治節」の名称でありました。

 大正14年に11月3日を祝日に制定する請願運動が行われ、2万名の署名が議会に提出されて同年2月23日、満場一致で可決されたのですが、大正天皇の御病気が悪化していたので、貴族院での審議は中断してしまいました。審議が再開されたのは昭和の御代にはいってからで、昭和2年の3月3日、明治天皇の御聖徳を敬仰して「明治節」として制定されたのです。以来、明治節は国家の大切な行事とされ、「四大節」※7の一つに数えられ、また戦後になっても11月3日は「文化の日」としてお祝いされているのです。

 今ではもう日本にしか存在しない、しかも1300年以上も続いている元号の伝統と、近代日本の礎をお築きになられた明治天皇の御遺徳を偲ぶ意味でも、11月3日の明治節の精神を永久に子々孫々へ伝えていきたいものです。
 

武帝
前漢第七代皇帝。中央集権を強化し、儒教を採用して思想の統一を計り、漢の最盛期を現出した。即位の年を建元元年といい、年号のはじめとされる。
松平慶永
(1828~90)幕末の福井藩主。ペリー来航後、海防・攘夷を主張。徳川慶喜と協力して幕政改革・公武合体を進め藩政改革をおこなった。大政奉還・王政復古にあたっては公議政体派の中心人物として活躍した。
3賢所
宮中三殿の一。天照大神の御霊代(みたましろ)として神鏡八咫鏡(やたのかがみ)を祀ってある所。
天長節
天皇誕生の祝日。明治元年制定。戦後、天皇誕生日と改称。ちなみに皇后誕生日は「地久節」と呼んだ。
5崩御
天皇・太皇太后・皇太后・皇后の死去をいう語。
6践祚
皇嗣が天皇の位を受け継ぐこと。先帝の崩御あるいは譲位による。
7「四大節」
もと祝祭日とされた新年・紀元節(現在の建国記念日)・天長節(天皇誕生日)・明治節(文化の日)の総称。

 
明治神宮HP転載 
 
1890年(明治23年)10月30日、明治天皇より「教育勅語」(教育ニ關スル勅語)が下賜されました。
 

 
天皇の名において、教育理念と実践道徳との教育全般における基本理念を示した明治の教えです。
 
教育勅語には、「12徳」の教えが込められており、現在の日本が学ぶべきことです。
 

 
「教育勅語の12徳」
 
1. 孝行(こうこう)⇒子は親に孝養を尽くしましょう。
2. 友愛(ゆうあい)⇒兄弟姉妹は仲良くしましょう。
3. 夫婦の和(ふうふのわ)⇒夫婦はいつも仲むつまじくしましょう。
4. 朋友(ほうゆう)の信(しん)⇒友達はお互い信じ合ってつき合いましょう。
5. 謙遜(けんそん)⇒自分の言動を慎みましょう。
6. 博愛(はくあい)⇒広くすべての人に愛の手をさしのべましょう。
7. 修学習業(しゅうがくしゅうぎょう)⇒勉学に励み職業を身につけましょう。
8. 智能啓発(ちのうけいはつ)⇒知徳を養い才能を伸ばしましょう。
9. 徳器成就(とっきじょうじゅ)⇒人格の向上につとめましょう。
10. 公益世務(こうえきせいむ)⇒広く世に中の人々や社会の為になる仕事に励みましょう。
11. 遵法(そんぽう)⇒法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう。
12. 義勇(ぎゆう)⇒正しい勇気をもってお国の為に真心をつくしましょう。
 
大東亜戦争終結により米国など戦勝国は、日本の民主化との美名の下に、全ての戦前教育を悪としました。
 
GHQの占領政策により「教育勅語」は、1946年に「教育根本規範の廃止」・「奉読の廃止」(勅語及び詔書等の取扱いについて)にされました。
 
1947年に「学校教育から排除」(旧教育基本法)、1948年に「排除・失効の確認」(衆議院の教育勅語等排除に関する決議・参議院の教育勅語等の失効確認に関する決議)がされました。
 
1948年6月19日に、教育勅語は廃止されました。
 
教育勅語が日本人の教育の基本で、荒廃した教育の再生に必要なことです。
 
 
秋篠宮悠仁親王殿下は、昨年の明治節に「着袴の儀」と「深曾木の儀」に臨まれました。
 

 
日本は、「文化の日」ではなく「明治節」に戻すべきです。
 
 
 
明治節
 
11月3日は明治天皇の在位中は天長節(天皇誕生日)でした。これは四大節(新年、紀元節、天長節、明治節)のひとつです。明治45年(1912年)に明治天皇が崩御になり、大正3年(1914年)には昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)が崩御されたのをうけて、両陛下を鎮祭する明治神宮の御創建を熱望する声が国民の間におこりました。大正9年11月1日に代々木の地に御鎮座となり、明治神宮が創建されました。 それでも維新の大業を回顧する国民の思いはやまず、昭和2年(1927年)3月に、明治時代の天長節であった11月3日を明治節と制定することになりました。これをうけて宮中でも皇室祭祀令を改正し、明治節祭が制定されました。

  しかし、この明治節は戦後「文化の日」に変えられ、明治節祭も廃止に追い込まれました。GHQの指令によるものです。明治の大業の歴史を国民から遠ざける目的でしょう。2月11日の紀元節祭も廃止に追い込まれています。これも日本人が自分の歴史を取り戻して主体性を回復させないためのものです。

  明治節祭も紀元節祭も復活していません。しかし、昭和天皇は紀元節祭は「臨時御拝」という形で御親拝を続けられました。今上天皇も引き継がれています。明治節祭も「臨時御拝」として昭和62年まで続けられました。今上天皇は引き継いでおられないようですが、7月30日には明治天皇の崩御日で明治天皇例祭があり、この日に御追悼の情を表しておられるのだと思います。

  明治節祭も紀元節祭も復活しないのは宮内庁の怠慢によるものでしょう。陛下のご高齢を理由に祭祀の簡略化の話がありますが、裏には悪意ある思想があると思います。「政教分離」と称して祭祀を皇室の私事として閉じ込めておきながら、その私事も簡略化させようとしています。何かと皇室から祭祀色を取り除こう、祭祀王の姿を隠そうとする動きがあるようです。本来は御公務のほうを重点的に削減すべきです。また皇太子殿下による代理、代拝を考えるべきでしょう。天皇陛下は祭祀王であり、祭祀があるから「天皇」というのです。

  11月3日は「明治節」に戻し、明治節祭を復活させ、日本国民が近代日本の礎を築いたという偉大な明治大帝を偲び、宮中で祭祀が執り行われる日になることを切に願っています。

 
近代日本の礎をお築きになられた明治天皇の御遺徳を偲ぶ意味でも、11月3日の明治節の精神を永久に子々孫々へ伝えましょう。
 
11月3日は「明治節」に戻し、明治天皇に思いをはせる日にするべきです。
 
良識ある日本国民の皆様、明治節についてご考慮下さい。
 
明治節の精神を永久に子々孫々へ伝えよう!
 
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近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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