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良識ある日本国民の皆様には、韓国と北朝鮮が安重根事件から103年になるのを記念して共同行事を開催したことはご存知だと考えます。
 
安重根事件から103年 北朝鮮で南北記念行事
 
【ソウル聯合ニュース】独立運動家・安重根(アン・ジュングン)が日本の初代韓国統監・伊藤博文を射殺した事件から103年となるのを記念し、韓国と北朝鮮の共同行事が平壌で開催される。

 韓国統一部は12日、韓国の安重根義士記念事業会が共同行事出席のため申請した訪朝(13~17日)を承認したと明らかにした。同会の10人が13日、中国・瀋陽経由で平壌入りする予定だという。

 同会は安重根の殉死から100年となった2010年3月26日に、処刑された中国・旅順刑務所で北朝鮮と共同追悼式を開催した。当時、北朝鮮側と平壌での共同学術大会や安重根の生家復元などで合意した。しかし、同日に北朝鮮の攻撃による哨戒艦「天安」沈没事件が発生し、合意は事実上立ち消えとなった。

 安重根は1909年10月26日に中国・ハルビンで伊藤博文を射殺し、その場で逮捕され、翌年3月26日に処刑された。
聯合ニュース11/12抜粋
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2012/11/12/0200000000AJP20121112001800882.HTML
 
>独立運動家・安重根(アン・ジュングン)が日本の初代韓国統監・伊藤博文を射殺した事件から103年となるのを記念し、韓国と北朝鮮の共同行事が平壌で開催される
 
何が独立運動家だ!
 
安重根とは、マヌケなテロリストです。
 
後述しますが、安重根が日韓併合慎重派の伊藤博文を暗殺したことにより、韓国が強制併合だと歴史を捏造している「日韓併合」を推進したのです。
 
歴史の真実を知らない韓国人は、テロリストの安重根を「反日の英雄」にしています。
 
韓国人は、サッカー代表による日本対韓国の親善試合などで、日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文を暗殺した安重根を、韓国チームの応援に使っています。
 

 

 
2011年10月26日、安義士義挙第102周年記念式を行って、安重根が拳銃を持って伊藤博文を暗殺するモニュメントを公開しました。
 
日本の初代総理大臣を暗殺した日に、その状況を公開して祝いました。
 

 
3月1日、日韓併合時3・1独立運動の日に、安重根精神の継承実践を確認する、第5回安重根平和マラソンを開催しました。
 
1500人余りの韓国人がマラソンに参加して、日本の初代総理を暗殺したテロリストを平和の象徴にしています。
 


 
 
韓国と北朝鮮は小競り合いを繰り返していますが、韓国人が皮肉るほど、韓国軍はマヌケな警戒態勢をしています。
 
10月2日、北朝鮮軍兵士の韓国への亡命事件が発生し、韓国軍の警戒態勢の甘さを露呈することになり、大きな問題へと発展しています。
 
10月19日、韓国の国防省は軍事境界線付近に、亡命案内看板と、亡命者向け電話ボックスを設置することを明らかにしました。
 
  ´∀`)アハハ「亡命者向け電話ボックス」だってよ!

<ヽ`∀´> 「もしもしー北朝鮮兵ですが案内して下さい」
 

 
「亡命する際はお電話を…」韓国軍が軍事境界線近くに専用の電話ボックス設置へ

韓国と北朝鮮は現在も休戦中だ。北緯38度線付近には両国を分断する軍事境界線があり、そこから南北に2キロメートルずつが非武装中立地帯となっている。だがこのところ、軍事境界線に張り巡らされた鉄柵を乗り越え、韓国に亡命する北朝鮮軍兵士が相次いでいる。

中でも、10月2日に発生した北兵士の亡命事件は韓国軍の警戒態勢の甘さを露呈することになり、大きな問題へと発展した。

その兵士は、9月29日に所属していた江原道高城郡雲田里の部隊から離脱。近くの山に2日間潜伏すると、10月1日から金剛山のハイキングコースと鉄道線路を辿りながら50キロ南下した。2日午後20時に北朝鮮の鉄柵に到着すると、それを乗り越えて韓国側に向かい、韓国側の鉄柵を3つ乗り越え、23時過ぎに韓国軍の哨戒所入り口に到着。哨戒所のドアをノックし、亡命意思を伝えようとした。

しかし、韓国軍は戸を叩く音どころか、北兵士の侵入にすら気づいていなかった。北兵士は近くの宿舎へと移動し、再度ドアをノック。中にいた韓国軍兵士が反応し、やっと亡命意思を伝えることができた。

この問題を受けて、韓国の国防省は19日、軍事境界線付近に「亡命案内看板」と、亡命者向け電話ボックスを設置することを明らかにした。ボックスには韓国軍への直通電話とインターホン、白旗、夜間識別ベルトなども入れるという。韓国軍の関係者は、軍事境界線内にはすでに亡命者用の専用電話が設置されているが、今後はさらに増やすと話した。

しかし、これまで専用電話がどれだけ使用されたのか不明であるため、今回の電話増設という対応には疑問の声も上がっている。

韓国のインターネット上には、「でも電話に出ないんでしょ」「電話で亡命を誘導?ジョークなの?」「もしもしー北朝鮮軍の兵士ですが亡命ルートを案内して下さい、とでも言うのか?」「『今日は担当者が休みなので明日にしてください』なんてなりそうだな」「夜間に識別ベルトをしたら北朝鮮軍にばれるよ」「ショートメールも可能なようにスマートフォンを設置して」「カカオトークはだめ?」「哨戒所はもう必要ない」「コントだな」などと国防省の対応を皮肉るコメントが集まった。
韓フルタイム 10月20日
http://news.livedoor.com/article/detail/7063367/
 
1905年(明治38年)11月17日、日本と韓国は、「第二次日韓協約」を締結しました。
 
第二次日韓協約により、大韓帝国は日本の保護国になりました。
 

 
歴史を捏造する韓国は、第二次日韓協約の交渉の際、「伊藤博文が韓国駐箚軍(日本軍)にソウルの宮殿を包囲させていた」と、条約の不法性を主張しています。
 
韓国では、儒者などによる「騒擾(テロ)」が、日露戦争中の1904年(明治37年)から異常に多く発生して日本を悩ませていました。
 
1905年11月の第二次日韓協約の交渉中に、韓国皇帝の高宗らが画策して儒者等を扇動していました。
 
韓国駐箚軍が王宮前広場で演習などを行った日は、李完用学部大臣の邸宅が焼き討ちされる等の状況でした。
 
日本は、テロ防止の目的から「宮殿を警護」しただけですから、第二次日韓協約締結は不法ではありません。
 

 
第二次日韓協約の交渉中、高宗らが儒者などを使った「テロ」を企てており、伊藤博文は韓国側の策略を知りました。
 
11月15日の高宗との内謁見で、伊藤博文は「昨今儒生輩を扇動して上疏献白を為し秘密に反対運動を為さしめつつありとの事は、疾く我軍隊の探知したる所なり」と述べました。
 
伊藤博文の指摘したことに対して、高宗は反論できずに、伊藤博文ら日本側は交渉を続けて、韓国側は納得して第二次日韓協約を締結したのです。
 
1909年10月26日に、初代内閣総理大臣、初代韓国統監だった伊藤博文(当時は枢密院議長)を、安重根が暗殺しました。
 

 
日韓併合について、日本側は、陸奥宗光、曾禰荒助など反対派で、伊藤博文、井上馨などが慎重派であり、桂太郎、山縣有朋などは推進派でした。
 
韓国側は、李容九などが推進派で、総理大臣の李完用などは容認派であり、両班や儒者などは反対派で割れていました。
 
伊藤博文という、日本側の日韓併合慎重派の重鎮を一人失ったことで、韓国内の併合推進派に併合推進の口実を与えました。
 
日韓併合を推進したといってもよい、「李容九」などが率いる文明開化派の最大政治組織「一進会」は、1909年12月4日に「韓日合邦を要求する声明書」を作成しました。
 
「韓日合邦を要求する声明書」
 
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。(中略)
 
伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)
 
それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。
1909124日 一進会」(百万の朝鮮人会員)引用
 
「一進会」は、上奏文と請願書を、李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出しました。
 
一進会は上奏書を却下されましたが、再度提出を繰り返すことで、桂首相の指示により遂に受け取られたことになりました。
 
韓国側では、次第に日韓併合に賛成する者が増えて、韓国が懇願した「日韓併合条約」(韓国併合ニ関スル条約)締結になりました。
 
伊藤博文は死の間際に、自分を撃ったのが朝鮮人だと知らされて、「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と嘆いたと言われています。
 
これは、日韓併合に慎重派の立場として、日本と朝鮮国内の併合推進派に、併合推進の口実を与えてしまったからだと考えられています。
 
伊藤博文は韓国併合について、「保護国化による実質的な統治で充分である」との考えから、併合には反対の立場を取りました。
 
1909年7月、「韓国併合の基本方針」が閣議決定されましたが、伊藤博文は、本格併合は将来的な課題として、早期併合には慎重な立場でした。
 
伊藤博文が韓国併合に消極的で、併合よりも「韓国の自立」を望んでいたことは、1907年(明治40年)5月30日、大韓帝国の閣僚たちに伊藤博文統監が与えた訓示でも分かります。
 
「日韓2000年の真実」 名越二荒之助(抜粋)
 
およそ国家は、自ら、独立する要素がなくて、単に、他国に寄りかかっているだけで、立っていけるものではない。今日のままで進むとすれば、韓国を亡ぼすものは、他国ではなく、韓国自身ではなかろうか。故に諸君は、反覆表裏なく、専心一意、韓国のために謀らなければならない。日本は諸君を助けて、韓国を独立させるよう尽力しつつある、然るに韓人は、日露戦争のような大激戦を目撃していながら、尚、覚醒しないのは、何事であろうか
 
伊藤博文を射殺したのは安重根ではないという、第三者狙撃説もあります。
 
安重根は、ほぼ正面から伊藤博文を「拳銃」で狙撃しました。
 
事件現場にいた室田義文貴族院議員が、「伊藤に命中した弾丸はカービン銃のもの」・「弾丸は伊藤の右上方から左下方へ向けて当たった」と証言したからです。
 
これが事実だとしても、伊藤博文を射殺したと自供した安重根はマヌケなテロリストです。
 
安重根は「裁判所」(旅順の関東州都府督裁判所)で、清渕孝雄検察官に「伊藤博文公を敵視するようになったか」と、射殺の動機を問われました。
 
安重根は15項目の馬鹿な理由を主張しましたが、本ブログには投稿文字数に制限がありますので一つだけ取り上げます。
 
安重根は、「伊藤は現天皇(明治天皇)の御父君に当たられるお方(孝明天皇)を暗殺(毒殺)した」と言っています。
 
しかし、考明天皇のご崩御は1866年12月25日であり、毒殺されたという記録もありません。
 
当時、伊藤博文は長州の三田尻にいたのであり、宮中に入れる身分でもありませんでした。
 

韓国の「安重根」切手!
 
韓国と北朝鮮が安重根事件103年記念共同行事を開催しましたが、日本の初代総理を暗殺したテロリストを英雄にするのが朝鮮人です。
 
良識ある日本国民の皆様、南北朝鮮についてご考慮下さい。
 
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近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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