HOME   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイト大東亜・靖国・歴史  »  『ムルデカ(独立)』朝日新聞「インドネシアの女性『日本軍のテントに連行された』」中山成彬衆議院議員「記事にするのは恥ずかしいような証言だ。どうしても日本を悪者にしたいらしい」朝日は日本軍人を侮辱するな
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中山成彬氏 朝日の慰安婦報道は「日本悪者にしたい」

朝日新聞が11月28日、インドネシアにも「慰安婦だった」と証言する女性がいることを報じた。同記事では「慰安婦問題、インドネシアの女性証言『日本軍のテントに連行された』」と題し2人の女性にインタビュー。1人は日本軍のテントに連れていかれ慰安婦にされたとしており、もう1人は性被害を受けたという。2人とも日本兵かは定かではないが、言語と顔つきがインドネシアのそれと違うことから「日本兵だと思った」と話しているとのこと。

 この朝日新聞の報道に日本維新の会の中山成彬衆議院議員がツイッターで「記事にするのは恥ずかしいような証言だ。どうしても日本を悪者にしたいらしい」と意見。「それこそ帰りにベトナムに寄ってベトナム戦争時の韓国兵の悪行を調べてくればよかったのに」とコメントしている。
2013年11月29日 アメーバニュース
http://yukan-news.ameba.jp/20131129-112/




>朝日新聞が11月28日、インドネシアにも「慰安婦だった」と証言する女性がいることを報じた。同記事では「慰安婦問題、インドネシアの女性証言『日本軍のテントに連行された』」と題し2人の女性にインタビュー。


ふざけるな朝日新聞!



慰安婦問題、インドネシアの女性証言 「日本軍のテントに連行された」

慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない。日本政府が約20年前、東南アジアへの波及を防ぐ外交を水面下で進めていたことを朝日新聞は報じた。1942年に日本が占領したインドネシアには、現在も「旧日本軍から性暴力を受けた」「慰安婦だった」と証言する女性がいる。


日本軍のテントで何度も辱められたと証言したベッチェさん。家族にも捨てられ、未婚だという=7月18日

イパティマンさんは、日本の大手企業の工場で働いていたところを連行されたと証言した。「毎日10人ほどの日本人がやって来た」と話した=7月21日
以下略
2013年11月28日 朝日新聞




>1人は日本軍のテントに連れていかれ慰安婦にされたとしており、もう1人は性被害を受けたという。2人とも日本兵かは定かではないが、言語と顔つきがインドネシアのそれと違うことから「日本兵だと思った」と話しているとのこと。


韓国人元慰安婦と同じで証拠はないのか^^

1942年に日本軍がオランダからインドネシアを解放したのに、なぜ「テント」の慰安所があるのでしょうか?

当時は日本国民だった朝鮮人もインドネシアにいたので、性的暴行を加えたのは朝鮮人軍属ではないのでしょうか?

朝日新聞が2人の女性にインタビューをしたのは7月なのに、なぜ11月になってから報道したのでしょうか?

そして、この2人の女性は、日本軍に強制された慰安婦ではなく、現地の戦時売春婦だったのではないのでしょうか?

日本軍人がインドネシアでオランダ人女性を慰安婦にしたという白馬事件でも、秦郁彦は、判決で被害者のオランダ人の全てが強制とはされなかった事、慰安所に連行される以前に売春婦であった女性が存在した可能性について述べています。

そもそも、大東亜戦争当時、日本軍はインドネシアの人々から解放軍として迎えられ、民間経営による慰安所があり、日本軍人相手の慰安婦がいたのです。

3月8日の衆院予算委員会の質疑で、中山成彬衆議院議員は日本の朝鮮統治について事実を述べました。

・日本の朝鮮統治は朝鮮の近代化に貢献したこと
・創氏改名は自由であったこと
・慰安婦の官憲による強制連行は無かったこと(朝日新聞の捏造)

【関連記事】

「日教組はガン」発言の中山成彬衆議院議員

つまり、中山成彬衆議院議員が「記事にするのは恥ずかしいような証言だ。どうしても日本を悪者にしたいらしい」と指摘したように、朝日新聞による捏造記事です。


朝日新聞は、大東亜戦争でオランダからインドネシアを解放した日本軍人と、大東亜戦争終結後もインドネシア独立のために戦った日本軍人を侮辱しています。


インドネシアには、古くから伝わる「ジョヨボヨ王の予言」(12世紀前半、東ジャワのクディリ王国のジョヨボヨ王が書き記したバラタユダの一説)という伝承がありました。

『我らが王国は、白い人びとに支配される。彼らは離れたところから攻撃する魔法の杖を持っている。この白い人の支配は長く続くが、空から黄色い人びとがやってきて白い人を駆逐する。この黄色い人びとがいるのは、ジャゴン(トウモロコシ)が育つのと同じくらいの期間だ。』

1602年のオランダ東インド会社設立頃より、350年間に渡ってインドネシアはオランダの植民地にされました。

1930年前後からインドネシアにも独立を希求する民族運動が発生しましたが、オランダはこれを厳しく弾圧して徹底した愚民政策で、インドネシア全土を植民地支配しました。

オランダは、多数の部族を互いに敵対させ、オランダ人に従順な一部の部族を警官とし、経済は華僑を利用して、統一言語ができると抵抗運動がおきるので部族間の言葉はそのままにさせました。

オランダの植民地政策は、道ばたで3人以上のインドネシア人が話していると処罰するほどの徹底した奴隷支配でした。


1941年、日本が大東亜戦争を開戦すると、インドネシアにも日本軍がやってくるらしいという噂が流れ始めました。

ある日、インドネシア人が爆音に空を見上げると、空にはいくつもの白い花が咲き、戦士達が降下してきました。
これが、「空の神兵」と呼ばれた日本軍の落下傘兵でした。

『これこそが、ジョヨボヨ王の予言にある空からの黄色い人々ではないか!』と、 インドネシア人は驚き、そして日本軍を歓迎し、日本軍に協力をしました。

1942年1月11日、日本軍はセレベス島のナドへの攻撃を皮切りにジャワ島を目指し、スマトラ島では幽閉されていたスカルノ、ハッタ、シャフリールら、当時のインドネシアの代表的な指導者を解放しました。

今村均中将率いる陸軍16軍は、3月1日にジャワに上陸して、わずか9日間でオランダ軍を降伏させ
ました。

インドネシア人は、自分たちを350年も支配して来た白い人びとを、わずか9日間で駆逐してしまった黄色い人びとが現実となり、これはまさに「ジョヨボヨ王の予言」の実現であることを知ると共に、白人が決して全能の神ではなく、アジア人が彼らの奴隷ではないことを確信しました。

日本軍政下に置かれたインドネシアでは、国名は蘭印からインドネシアに、オランダ名だった首都バタヴィアは、古インドネシア王国のジャヤカルタに倣ってジャカルタに改称されました。

日本によりオランダ語が廃止され、新しくインドネシア語(当時はジャワ語の分かる日本人がいなかったので、特務機関で学習されていたマレー語を採用)が作られました。

日本は、将来のインドネシア独立の方針を推し進め、インドネシア人の若者による「郷土防衛義勇軍」(PETA)を組織し、日本軍式の軍事教練を施しました。

このPETAはインドネシア独立戦争の中心戦力となり、後のインドネシア国軍の母体となったので、今でもPETA出身の軍高官は、「日本精神のおかげでオランダに立ち向かうことができた」と語っています。


日本は、1945年3月にインドネシアの独立準備委員会を発足し、8月19日にスカルノ、ハッタ、ラジマンによって、独立宣言をするという方針を決定・承認していました。

しかし、1945年8月15日に大東亜戦争終は終結しました。

日本の軍政は3年半であり、これも「ジョヨボヨ王の予言」にあるトウモロコシが育つまでの期間と同じでした。
1945年8月17日、後の初代大統領スカルノによって独立宣言文が読まれました。

この宣言文の日付は「17805(05年8月17日)」と、西暦ではなく日本の「皇紀」(2605年)で書かれています。

日本軍はポツダム宣言受諾以降、連合軍が来るまで現地の治安維持と、武器の管理を命じられていました。

しかし、日本軍は秘密裏にインドネシア人に武器の流しなどをして、自らが育てたPETAを支援しました。

ある日、武器庫の番をしていた日本軍兵士が暴徒化したインドネシア人に殺された時、自らの血で『インドネシアの独立に栄光あれ』と壁に書いて息絶えました。

このような日本軍将兵の姿勢は、インドネシア人に衝撃を与えました。

そして、インドネシアの独立を認めずに、再びインドネシアを植民地支配するために、イギリス軍とオランダ軍が侵略してきました。

しかし、日本の統治によってインドネシア人は猫から虎に変わっていました。

2000人以上の日本軍将兵は現地に残り、PETAと運命を共にし、4年にも及ぶ独立戦争を戦い抜いたのです。


残った日本軍将兵の動機は様々でしょう。

彼らは玉音放送における、「朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」(私は日本と共に、終始東アジアの解放に協力してくれた諸盟邦に対してすまなく思う)との、昭和天皇の大御心を代わりに果たして、インドネシアの独立の礎となったのです。

1949年12月のハーグ円卓会議で、インドネシアはオランダからの独立を承認されました。

インドネシア独立のために戦い散った日本軍将兵は約1000人で、英霊達の御霊はジャカルタにある「カリバタ国立英雄墓地」に祀られています。


毎年、8月17日のインドネシア独立記念日には、盛大な独立記念祭が行なわれ、インドネシアの人びとは日本の軍歌を歌いながら行進し、インドネシア国軍のパレードで使われているのは「PETAマーチ」です。

パレードのクライマックスにはインドネシア人の男女2名と、日本陸軍のふん装をした男性による3名で、インドネシアの国旗を掲揚します。


「郷土防衛義勇軍(PETA)マーチ」(斉藤守氏訳)
1、アジア すでに敵に向かい 蜂起せり己を捨てて 全力を尽くす 連合国を粉砕せんと玉散ることもいとわず 進め進め 義勇軍アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
2、古きアジア 不幸に苦しむ列しき圧制に 幾世紀も忍ぶ 大日本 雄々しく立てりアジアを救い 我らを守る 進め進め 義勇軍アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ



スカルノ インドネシア元大統領「インドネシアの独立戦争では、約3,000名の日本兵がインドネシアの為に戦ってくれました。私たちはその『心』を大切にし、同じアジアの民族として伝えなければなりません。その『心』は日本とアジアばかりではなく、世界の平和にも繋がるのです。ところが、インドネシアの独立で通じ合った日本の犠牲的精神を、今の日本の若い人達はほとんど知りません。残念でたまりません。私達の独立の為に戦ってくれた日本兵の事を、きちんと日本で語り継いでほしいと思います。そしてインドネシアに来られたら、ジャカルタの英雄墓地に眠る日本兵の奥城にお詣りして下さい。その墓標には、みなイスラムの名前と日本人の名前が彫られています」

サンパス 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝する事は、戦争が終わってから日本軍人約2000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれた事である。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけで済むものではない」

アラムシャ 元第3副首相「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である」

ブン・トモ 元情報相「日本軍がアメリカ・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。それなのに全て日本に背負わせ日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。申し訳ない」

インドネシア サンバス長官
「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ(アウンサン)、ラウレル、アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である」


インドネシアの独立の礎となった日本軍将兵は、インドネシアをオランダによる350年の植民地支配から解放し、インドネシアは『ムルデカ(独立)』したのであり、これが大東亜戦争の真実です。



【動画】

ムルデカ 17805
http://youtu.be/hiUTLHjvmHI


中山議員が「記事にするのは恥ずかしいような証言だ。どうしても日本を悪者にしたいらしい」と指摘したように、朝日新聞はインドネシア解放・独立のために戦った日本軍人を侮辱しています。

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近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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