HOME   »   スポンサー広告  »  スポンサーサイト固有領土  »  韓国「独島義勇守備隊」竹島で日本国へ攻撃を繰り返した犯罪者を英雄視・国防省「独島をしっかり守るという意思を示す為、マスコミに公開した」竹島への侵略を正当化する軍事的挑発行為【竹島に関する日韓・日露史】
RSSフィード
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

空いている時間に画像添付や文章編集をしています。ヤフーブログの更新を優先していますので、読者の皆様にはご理解下さい。

人気ブログランキングの投票は、↓ヤフーブログ↓のほうでクリックをお願い致します。


http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/MYBLOG/yblog.html



「韓国は嫌い!」という方はクリックを<(_ _)>


韓国 NHKの映像を無断使用


韓国外務省が島根県の竹島の領有権を主張する目的でホームページを通じて公開した動画に、NHKドラマ「坂の上の雲」とみられる映像が無断で使用されていたことが分かり、NHKの指摘を受けて、韓国外務省は27日、この動画を削除しました。

この動画は、韓国外務省が竹島の領有権を主張する目的でホームページを通じて公開していたもので、この中で、NHKドラマ「坂の上の雲」の日本海海戦のシーンとみられる映像が20秒近く無断で使用されていました。

NHKでは韓国外務省に対し、事実関係を調べ無断使用ならば直ちに削除するよう求めていました。これに対し韓国外務省は「動画は韓国の民間の制作会社に発注し作成させたもので、問題の映像は制作会社の担当者がインターネットから入手し、NHKの映像とは知らずに使用してしまった。NHKの映像が使用されたと判断せざるをえない」として、27日、この動画を削除したことを明らかにしました。

韓国外務省は「このような事態が起きたことについて、発注元として申し訳ない」と話しています。これを受けてNHKは韓国外務省に対し「不適切な映像使用であり、二度とこのようなことがないよう注意してほしい」と強く申し入れました。
10月28日NHK



>韓国外務省が島根県の竹島の領有権を主張する目的でホームページを通じて公開した動画に、NHKドラマ「坂の上の雲」とみられる映像が無断で使用されていたことが分かり、NHKの指摘を受けて、韓国外務省は27日、この動画を削除しました。

韓国政府は日本国民に謝罪しろ!

韓国が盗んだのは、NHKが日本国民の受信料で製作し、2011年に放送した「坂の上の雲」の日露戦争のシーンです。


【動画】

정부 독도 홍보 영상에 웬 '일본드라마'? / YTN
http://youtu.be/-umVvyjFIA4

▼モノクロの部分が「坂の上の雲」からの無断使用(テロップは韓国によるもの)


韓国外務省が広報動画に日露戦争のシーンを入れたのは、日韓併合前に竹島を侵略されたと主張しているからです。

日本が竹島を島根県に編入したのは、日露戦争の最中の1905年です。

日本が日露戦争の勝利のために戦略的価値がある竹島を侵略したなどと主張する学者がいますが、事実ではありません。



【竹島に関する日韓・日露史】

1904年2月 日露戦争
1904年2月 日韓議定書
1904年8月 第一次日韓協約
1904年10月 バルチック艦隊、リバウ軍港を出航
1905年1月 旅順陥落
1905年2月 竹島を島根県に編入
1905年5月 日本海海戦
1905年9月 ポーツマス条約調印
1905年11月 第二次日韓協約
1905年12月 韓国総監府設置(初代統監伊藤博文)
1910年08月 韓国併合


韓国の竹島広報冊子「韓国の美しい島、独島」は、「日本政府が1904年の第一次韓日協約締結などを通じ段階的に侵略を行い、独島が初めの犠牲になった」としています。

1904年8月23日、日本と韓国は「第一次日韓協約」を締結しました。

韓国は貧しさを極め、国防などでも国家が危機的状況だったので、日本政府の推薦者が財政と外交の顧問に就きました。

反日勢力や歴史を知らない日本人は、「韓国の外交権は制約を受けて、抗議できなかった」と主張していますが、事実ではありません。

1902年1月30日に調印・発効した、「日英同盟(日本と英国との軍事同盟)」の、1905年8月12日の「第二次日英同盟第三条」の条文について、10月に大韓帝国の朴斉純外相がこれを非難しています。

そして、駐韓イギリス公使と日本公使に抗議をしています。

大韓帝国は外交権をもって、日英に対して抗議が可能だったのですから、韓国政府の主張は成り立ちません。




【日露戦争・日本海々戦と竹島】

・明治37(1904)年9月29日中井養三郎は「リヤンコ島領土編入並びに貸下願」を内務、外務、農商務の3大臣に提出したが、5月27、28日には竹島で中渡瀬仁助等隠岐の漁師がアシカ猟をしておりバルチック艦隊の数隻を目撃している・軍事施設の可能性を指摘されていた仮望楼(見張所)は日本海々戦より後の8月に建設されたことが、海軍資料から確認された・竹島近くで4隻のロシア艦隊が追撃した日本艦隊に包囲され投降したのは偶然の出来事だった※結論 日露戦争と竹島の意図的関係は存在しない。


韓国政府は、1905年2月22日の日本政府の竹島編入について、「第二次日韓協約で外交権が剥奪された状況で無効だ」とも主張しています。

1905年(明治38年)11月17日、日本と韓国は、「第二次日韓協約」を締結しました。

第二次日韓協約により、日本は、韓国の外交を監理指揮するとされ、大韓帝国は日本の保護国になりました。

1906年2月~4月に韓国は、蔚珍郡竹邊浦に日本海軍が建設した元燈台用地売買に関して、正式に日本の統監府に抗議をして承認させています。

韓国が竹島を自国領と認識していたなら、日本政府の竹島編入について、日本政府に対して抗議は可能でした。

しかも、日本の竹島編入は第二次日韓協約締結よりも前のことですから、韓国政府の主張は成り立ちません。

日韓併合前の1899年「大韓地誌」(大韓帝国の最初の地理の教科書)には、「大韓帝国の領域は、北緯33度15分~42度25分。東経124度30分~130度35分」と書いてあります。

竹島は、「東経131度52分」です。

1899年は下関条約の4年後で、第一次日韓協約の5年前、第二次日韓協約の6年前です。

韓国が他国の影響下にない、完全に独立をしていた時期の教科書です。

当時の韓国では、鬱陵島までを韓国の領土として、竹島は韓国の領土としていなかったのです。

日本が海外に訴えることで効果的な歴史は、韓国が「竹島」を奪う際、韓国により日本人虐殺が行われ、日本人が虐待を受けたという、人権蹂躙の真実です。

韓国政府は、1952年4月のサンフランシスコ平和条約発効に先立ち、国際法を無視しました。

同年1月18日、李承晩大統領が日本海に「海洋主権宣言」という一方的宣言によって「李承晩ライン」を引きました。

韓国政府は日本政府に対して、日本海の竹島周辺海域で、日本が操業できる漁場、天然資源・水産物などを利用する権利を主張しました。

そして、李承晩ラインに入る日本漁船は武力を持って排除すると通告をしました。

1953年4月20日に韓国人が竹島に駐在し、6月27日、島根県と海上保安庁が共同で竹島を調査して、韓国人6名を退去させて領土標識を建てました。

しかし、武装した韓国人が竹島に戻り、韓国は1956年に警察を上陸させて不法占拠を続けています。


「李承晩ライン」により韓国による日本漁船の拿捕が続いて、娘が生まれたばかりの若い漁師などの死傷者がでました。

日韓漁業協定が成立する1965年まで、韓国に人質(最大13年)にされた抑留被害者が虐待されました。

また、韓国により日本が受けた損害額は、当時の金額で90億円を超えたとされています。



「日韓条約 知られざる交渉の内幕」その2【NHK】

日本では、激しい抗議の声が巻き起こりました。

「日本政府としては、リショウバンラインというものについての韓国側の主張は絶対に認められないっ」

李ライン問題は日本海の漁業で生計を立てていた人達の生活に深刻な打撃を与えました。

「日本一を誇る魚市場に入荷する魚は少なくなり、いたずらにその広さが目立つのです。例え係争が出ても、海に生活の糧を求める漁師たちには、恐怖の海を承知の上で李ラインへ出かけざるを得ないのです。
最近の出航の別れの言葉は変わってきました。漁船員の妻は今までならばハンカチを振りながら「行っていらっしゃい」と笑顔で見送っていたのが、今では「きっと帰ってきてね」というようになってしまったのです。波止場の別れにも慣れたはずの妻も港に出る船陰を眺めては思わず涙を一筋二筋。乗組員たちも切ない顔つきで笑顔を見せる余裕を無くしてしまった。」



韓国人は、日本の竹島に不法上陸し、日本へ攻撃を繰り返した犯罪者たちを「独島義勇守備隊」と呼び英雄視しています。

常習的に侵犯する日本人を決死阻止した独島義勇守備隊

独島義勇守備隊。


1954年11月21日明け方、日本の海上保安庁の艦艇3隻が独島(トクト、日本名・竹島)に接近した。1000トン級PS-9、PS-10、PS-16艦は、左右と中央から島を包囲した。日本の航空機も旋回した。600メートル前。拳銃の音とともに一斉射撃が始まった。M-1小銃が火を吹いた。迫撃砲弾はPS-9艦の甲板に当たった。PS-10艦も暗雲のような煙を吐き東に逃げた。(ホン・スンチル『この地がどこの地なのか』)

53~54年に入り独島を侵した日本は痛手を負った。死傷者は16人。

恐れを知らずに銃と大砲を海上保安庁の艦艇に撃ちまくった彼らは独島義勇守備隊だった。日本人の山座円次郞が独島を飲み込もうとする陰湿で凶悪な計略を出して50年余り、体で独島を死守した彼らが義勇守備隊だ。

独島義勇守備隊構想は機甲部隊の傷痍軍人出身ホン・スンチル(当時23歳)のアイデアだった。鬱陵島(ウルルンド)出身で軍に入隊し韓国戦争で負傷して52年7月に島に戻った彼は、ある日杖をついて鬱陵警察署長を訪ねおかしなものを見る。「島根県隠技郡 五箇村 竹島」と書かれた標木だ。日本が独島を自分の土地だとした表示を韓国の漁夫がはずしてきたのだ。

血が沸き立った彼はまもなく守備隊組織に着手した。警察からいくつかの銃器の貸与を受け合宿訓練もした。戦争中である2軍と慶北(キョンブク)兵事区司令部を訪ね小銃、拳銃、軽機関銃1丁を得た。釜山(プサン)のヤンキー市場に行きアシカ1頭と引き替えに拳銃と小銃を取得した。すべて自費だった。そのように編成された義勇軍は15人規模の戦闘隊2組、補給連絡担当3人、予備隊5人、補給船船員5人など45人だった。装備は軽機関銃2丁、M-2小銃3丁、M-1小銃10丁、拳銃2丁、手榴弾50発、0.5トンのボート1隻。53年4月20日に義勇隊は独島の西島に上陸した。すぐ日本の独島侵犯が始まった。5月28日午前11時ごろ、日本の水産試験船島根丸が船員30人を乗せて現れ6人が上陸した。魚を釣っていた韓国人漁夫30人余りを不法に調査した。6月にも艦艇2隻が米国旗を掲げ独島西島に表示板を作った。

義勇守備隊は6月24日に日本の水産高校の実習船を西島の150メートル前で捕まえ、「独島は韓国領」であることを周知させ解放した。7月12日午前5時、日本のPS-9の侵犯時は真価を発揮した。艦艇の90メートル前から軽機関銃で200発を打ち込んだ。

53年7月の休戦後、韓国政府が警察4人を少しの間派遣し、海兵隊815-LST艦が一時立ち寄り、慶尚北道(キョンサンブクド)警察局長が慰問に来たが義勇対を代替できなかった。その渦中に日本は8月に5回、9月に2回、10月に1回と何度もやってきた。韓国当局はほとんど知らなかった。ホン・スンチルは8月に彼らが接近するのが目撃された時は銃を撃って阻止した。

54年にも侵犯は続いた。10月2日に現れた日本の船は、義勇守備隊が作った木製のにせの大型大砲にだまされ逃げた。侵犯は11月21日の義勇隊の攻撃後に消えた。このように義勇隊は56年12月30日まで独島を守り国に任務を引き渡した。3年8カ月にわたった。彼らがいなかったら独島は日本の実効支配に置かれかねなかった。義勇隊は66年の防衛勲章を受けた。輝かしい活動に対する報いにはみすぼらしかった。
2012年08月19日中央日報



10月25日、韓国軍は「竹島」で特殊部隊も参加して、事実上、日本の民間人が竹島に上陸をした場合を想定した軍事訓練を行いました。

この防衛訓練に韓国海軍の特殊部隊が参加して、映像が公開されたのは異例のことでした。


【関連記事】

竹島防衛訓練に韓国軍特殊部隊が参加


韓国の国防省は、「独島をしっかり守るという意思を示す為、マスコミに公開した」と明らかにしました。



2013年10月25日KBSニュース

アナ「今日は独島(竹島)の日です。独島は韓国領土です。今日、独島では海軍と空軍の合同防衛訓練が行われました。キム・ジソン記者です。」
海軍と海洋警察庁は今日午前8時から正午まで、合同で独島防衛訓練を行いました。
今回の訓練では、駆逐艦と哨戒艇など海軍の艦艇5隻と、海洋警備艇1隻が参加しました。
空軍のF-15系戦闘機2機と海軍哨戒機をはじめ、陸軍・警察庁・独島警備隊なども動員されたという事です。
海と空から独島に接近しようとする勢力を防ぐ為の定例訓練ですが、今回は海軍の特殊部隊も参加し、実戦のような雰囲気だったという事です。
1986年から始まった独島防衛訓練は毎年2回行われますが、最近日本など周辺の情勢を鑑み、電撃的に行われたという事です。
国防省は当初この訓練を非公開で行う予定でしたが、独島をしっかり守るという意思を示す為、マスコミに公開したと明らかにしました。ブログ「テレビにだまされないぞぉ」転載





韓国の軍事訓練は、竹島への侵略を正当化するものであり、日本への軍事的挑発行為です。

10月28日は「反韓国デー」でした。


[民族派抗議活動日]

反ロシアデー  8月9日 ソ連が不法な対日参戦した日
反中共デー  9月29日 日本と中共との国交樹立の日
反韓国デー 10月28日 韓国が竹島を不法占拠した日


10月28日 反韓国竹島奪還デー
主催10・28竹島奪還実行委員会

日本人は「竹島」について正しい歴史認識をもち、日本政府は「反韓国デー」を制定して「竹島奪還」の機運を高める国民運動の日とするべきです。

日本政府は国際司法裁判所(ICJ)へ単独提訴をして、韓国に対して竹島からの撤退を勧告するべきです。

竹島返還まで韓国に経済制裁を!

と思われた方は、↓クリックをお願いします。↓




人気ブログランキングの投票は、↓ヤフーブログ↓のほうでクリックをお願い致します。<(_ _)>

http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/MYBLOG/yblog.html



スポンサーサイト
Relate Entry
Comment
Trackback
Comment form
訪問者数
人気ブログランキング
最新コメント
プロフィール

近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

検索フォーム

PAGE TOP
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。