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「国宝」復元は手抜き工事? 崇礼門、完成5カ月で亀裂=韓国

中国メディア・中国新聞社は9日、韓国の国宝第1号とされるも5年前に焼失、今年再建工事が完了したばかりの崇礼門にすでに亀裂やなど発生したと報じた。

 記事は、5年の時間と276億ウォンを費やし、4万人を動員するという韓国市場最大の文化遺産修復プロジェクトによって5月に再建された崇礼門が、わずか5カ月で色絵部分の少なくとも7カ所に亀裂や退色が生じたと伝えた。また、韓国の文化財庁が色絵の工程に品質問題があったことを認識し、今月中に修復する計画を立てておきながら公表しなかったとした。

 そのうえで、専門家からは昨年夏に行われた色絵作業が「湿度と温度の高い夏に行うのは不適当」といった批判や、「完成予定に間に合わせるために盲目的に施工した」とする疑問の声があがったと紹介した。

 さらに、ネット上でも「前の崇礼門は数百年経っても壊れなかったのに、なぜ現代の工芸技術を用いると何カ月も持たないのか」、「税金の無駄遣いだ」といった厳しい意見が噴出したと伝えた。

 崇礼門は1398年に完成、1962年の改修工事後に国宝第1号に指定された。南大門の通称で広く親しまれてきたが、2008年2月に放火によって焼失した。
2013/10/09 サーチナ
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1009&f=national_1009_004.shtml



>中国メディア・中国新聞社は9日、韓国の国宝第1号とされるも5年前に焼失、今年再建工事が完了したばかりの崇礼門にすでに亀裂やなど発生したと報じた。


媚韓NHKは報道しろ!

NHKは5月4日放送の「ニュース7」で、韓国の崇礼門(南大門)が復元され一般公開が始まったと大々的に報道しました。



韓国 全焼の門復元し一般公開


放火によって全焼した韓国の国宝スンネムン(崇礼門)、通称ナムデムン(南大門)の楼閣が、5年ぶりに復元されて、4日から一般公開が始まり、大勢の見物客が訪れました。

このほど復元工事が完了して、4日午後に記念式典が開かれ、民族衣装姿で登場したパク・クネ大統領は「この門は民族の魂を象徴する韓国の顔だ」と復元を祝いました。

また、大型連休を利用してソウルを訪れている日本人の間からは、「いいときに来ました。写真もたくさん撮りました」といった声が聞かれました。
5月4日NHKニュース抜粋




【関連記事】

NHKが韓国の崇礼門(南大門)


>5月に再建された崇礼門が、わずか5カ月で色絵部分の少なくとも7カ所に亀裂や退色が生じたと伝えた

韓国メディアによると、文化財庁関係者は8日、「崇礼門で丹青が剥げる現象は5月26日に初めて感知された」と明らかにしました。

つまり、5月4日の崇礼門復元記念式典から僅か3週間で、崇礼門の装飾はひび割れ剥がれ始めていました。




ひび割れた南大門の文様


火災で焼失し、今年5月に復旧作業を終えたソウル市内の崇礼門(南大門)の丹青(韓国の宮殿・寺院に描かれる青、赤、黄色、白、黒の文様)の一部が、ひび割れて剥がれていることが分かった。写真は8日午後、現場で剥がれた部分の状況を説明する文化財庁の関係者。
2013/10/09 NEWSIS/朝鮮日報



2012年、韓国では崇礼門の復元作業に、日本製の接着剤が使用されていたことが問題になりました。


韓国の国宝の復元作業で、日本製の接着剤が使用され問題に

 韓国の国宝1号に指定されている崇礼門の復元にあたり、日本製の接着剤を使用していることに対して、問題視する声が上がっている。文化財庁は「品質のよい日本製の接着剤の使用は仕方ないこと」と説明した。韓国メディアが伝えた。

崇礼門は李氏朝鮮時代の1398年に都の南城門として建てられ、1962年に国宝第1号に指定された。通称南大門の一帯はソウルの観光名所でもある。08年2月に放火によって木造楼閣の大部分を焼失し、10年2月から復元工事が行われている。

  現在、復元工事は瓦を葺く作業と丹青(たんせい)を施す作業を残しており、12月に完成する見通し。韓国の伝統的な技法による復元を強調しているが、丹青作業で使用する顔料と接着剤は日本からの輸入品であることが明らかになった。

  これに関して、一部から伝統的な方法による復元作業に外国製を使用することを問題視する声が上がった。文化財庁は「品質のよい材料を使用するために避けられない選択だった」と説明した。専門家からも「日本製の接着剤は優れている。国内製ではなく残念だが、国宝で実験はできない」との見方を示した。

  韓国の伝統的な接着剤の製造技術は1980年代にすでになくなっており、09年に某大学の教授が再現して作ったが接着力が弱く、崇礼門の復元には使用できなかったという。
2012/06/14サーチナ



自国に不都合なことが生じた場合、日本に難癖をつけて謝罪と賠償を要求するのが韓国人ですが、崇礼門で丹青が剥げたことも日本に責任転嫁しそうです。


崇礼門、丹青剥落…日本産ニカワのせい?

火災で消失し、去る5月に復元された崇礼門の‘丹青’の一部が完工直後に剥がれて文化財庁が原因把握に出た。丹青とは、昔ながらの家の壁、柱、天井などに様々な色で描いた紋や図を指すが、通常10年余りに一回ずつ剥がれて補修するのが正常だ。一部では丹青の尚早な剥落現象が日本産ニカワを使用したためという主張が出てきている。

文化財庁は8日、崇礼門管理所などが去る5月から数百か所余りの崇礼門の丹青のうち20か所内外で剥落現象を発見して観察してきたと明らかにした。このような現象は日光があたる南側の丹青で主に現れた。文化財当局は今月末から保守工事を始めることを計画した状態だ。

丹青が剥がれた原因は現在、大きく2つと把握されている。顔料である胡粉(貝の粉)をとても厚く塗ったとか、ニカワに問題があったという推測だ。

崇礼門の丹青を引き受けたホン・チャンウォン丹青匠(58・重要無形文化財第48号)は「顔料は国産と日本産を一緒に使用した」としながら「美しい明るい黄色を出そうと伝統方式のとおり胡粉を塗った後、赤色を上塗りしたが、顔料をとても厚く塗ってこの部分が離れて行ったようだ」と説明した。

丹青剥落の他の原因としては、日本産ニカワが指定される。接着力を高めて防湿、防腐、防虫の役割をするニカワは、復旧当時、鋭敏な事案として反対世論が高かったが、そのまま日本産を使用した。一部では崇礼門復旧工事中に丹青現場で痛んだニカワの臭いがしたという主張も出てきている。(機械翻訳 若干修正)
ソウル新聞 韓国語 2013/10/08



>さらに、ネット上でも「前の崇礼門は数百年経っても壊れなかったのに、なぜ現代の工芸技術を用いると何カ月も持たないのか」、「税金の無駄遣いだ」といった厳しい意見が噴出したと伝えた。

いい加減な復元工事だったからだ^^

韓国の崇礼門(南大門)は、李氏朝鮮時代の1398年に南城門として建てられ、1962年に国宝第1号に指定されました。

2008年2月、崇礼門(南大門)は放火によって大部分を焼失しました。

韓国政府は、5年の歳月と276億7000万ウォン(約24億4600万円)の予算をかけ崇礼門(南大門)の復元工事を行いました。

韓国政府によると、崇礼門(南大門)復元工事は歴代最大規模の文化財復旧事業ということです。





日本統治前の南大門


日本統治時代の南大門

焼失前の南大門


2008年2月に放火で焼失した南大門(崇礼門)

5年の歳月と24億円の予算をかけて復元した現在の南大門(崇礼門)


しかし、韓国が崇礼門(南大門)の復元工事をする際、図面が残っていませんでした。

約50年前に崇礼門(南大門)の解体補修工事が行われましたが、その時の解体実測図面は保管されていませんでした。

韓国の文化財庁が資料(解体補修工事当時の実測記録)を入手したのは、約1年半前の2011年11月になってからです。

つまり、当初3年以上の間、崇礼門(南大門)の復元工事は資料のない状態で外部からの写真だけを基にした、いい加減な復元でした。




崇礼門復元工事、詳細図面ないまま着手
復元に必要な解体実測図、最近ようやく所蔵者に要請

 文化財庁が2008年に「国宝1号」崇礼門(南大門)を復元する上で、決定的な手掛かりとなる資料を確認していたにもかかわらず、3年過ぎた最近になってようやく資料確保に乗り出したことが明らかになり、論議を呼ぶとみられている。

 在米建築家の崔容完氏(73)は「1960年代の崇礼門解体補修工事当時の実測記録を持って08年に韓国を訪れたが、当時資料を閲覧した文化財庁関係者が写真4、5枚を撮っただけで『また連絡する』と言われ、米国に帰って来た」と2日話した。3年後再び韓国を訪れた崔氏は「文化財庁に対し4日に資料を寄贈する」と語った。

 崇礼門は61年から2年にわたり解体補修工事が行われたが、その際に作られた解体実測図面はどこにも保管されていない。文化財庁は、内部の「解剖図面」さえも確保できない状態で大々的手術に着手したことになる。
2011/11/03朝鮮日報




韓国メディアは、「重要無形文化財保有者をはじめとする伝統職人が参加して、さまざまな調査・研究を通じての徹底した考証により、原形を最大限に生かしたという点で意義深い」と報道しました。

【社説】歴史と文化を生き返らせた崇礼門の復旧=韓国

2008年2月の放火で焼失した崇礼門(スンネムン)が、5年3カ月の復旧工事を終わらせて4日に復旧記念式を行う。崇礼門の復旧には、276億7000万ウォン(約24億4600万円)の予算をかけて延べ3万5000人余りが参加した歴代最大規模の文化財復旧事業という事実をこえた象徴性がある。それは火災損傷の回復水準ではなく、朝鮮初期の創建当時の姿を取り戻すという歴史性回復の過程という意味がある。重要無形文化財保有者をはじめとする伝統職人が参加して、さまざまな調査・研究を通じての徹底した考証により、原形を最大限に生かしたという点で意義深い。
2013年05月01日中央日報抜粋



しかし、崇礼門(南大門)の天井画(虹模様の中央通路の天井の竜の絵)を原形と比較してみると、復元後は原形から大きくかけ離れていることがわかります。

「原形」復元前の崇礼門(南大門)の天井画

「原形を最大限に生かした」という復元後の崇礼門(南大門)の天井画


比較「これって復元なの?」



韓国メディアは「復元された崇礼門は多くの人々にとってやや見慣れない姿かもしれない。火災前の姿とはかなり違うからだ」「今回の復旧は朝鮮初期創建当時の原形を取り戻す道だった」と報道しました。

帰ってきた“国宝1号”崇礼門、615年前の姿を取り戻す(1)=韓国

どう変わった?=復元された崇礼門は多くの人々にとってやや見慣れない姿かもしれない。火災前の姿とはかなり違うからだ。崇礼門は太祖7年(1398年)に誕生したが、世宗30年(1448年)、成宗10年(1479年)に大手術を受けた。韓国戦争(1950-53年)当時に銃弾で損傷し、60年代初期にまた解体修理過程を経験した。

今回の復旧は朝鮮初期創建当時の原形を取り戻す道だった。276億7000万ウォン(約24億円)の予算がかかり、延べ3万5000人が参加した。歴代最大規模の文化財の復元だ。使われた木は25トントラック28台分、石は15トントラック236台分だ。史料などを参考にし、その間に変形して作られた部分を積極的に修正した。60年代の工事で短くなった屋根の棟は長くなり、1階の隅棟の装飾も朝鮮末期の写真資料に基づき8個から7個に減った。また明るい丹青ではなく、本来の落ち着いた色感を取り戻した。
2013年04月30日中央日報抜粋




つまり、韓国の文化財復旧事業(復元工事)とは、その時代により外観などがコロコロ変わるということです。

5月4日午後に崇礼門復元記念式典が開かれ、民族衣装姿で登場したパク・クネ大統領は「この門は民族の魂を象徴する韓国の顔だ」と復元を祝いました

確かに、崇礼門(南大門)の天井画も原形から大きくかけ離れているので、原形をとどめていないのは韓国人の顔と同じです。


韓国は、国宝第1号の復元でさえ復元記念式典から僅か3週間で装飾が剥げ始める国で、日本は責任転嫁されないようにするべきです。

韓国に関わるな!



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近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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