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ミヤネ屋で「春香クリスティーン」さん靖国問題を『ヒトラーの墓』と例え炎上!


26日に放映された読売テレビの「情報ライブ ミヤネ屋」の中で、コメンテータとして出演しているタレントの「春香クリスティーン」さんの発言が波紋を呼びブログのコメント欄が炎上している。事の発端は安倍総理の靖国参拝問題に関するもので「靖国神社はヒトラーの墓と同じ」という内容の発言をしたことがきっかけのようだ。ブログでは「ミヤネ屋での発言、謝罪してください。」「とんだ侮辱&無知発言」と非難轟々だ


春香クリスティーンさんは、タレントながらもコメンテーターとして情報番組に出演。この日はたまたま「安倍総理」の靖国問題が取りざたされていただけに、日本のメディアは各局ナーバスな雰囲気に包まれていた。そんな中、司会の宮根誠司に話しを振られると春香クリスティーンは

海外ではこの問題よく比べられるので、もしもドイツの首相がヒトラーの墓に墓参りをした場合ほかの国はどう思うのかという論点で議論されるわけですが・・・まぁ難しい問題ですよね

とドイツのヒトラーを例に挙げてしまい「失礼だ」「歴史の認識不足」「トンチンカンだ」と激しく批判されている。

―ブログが大炎上

案の定ブログは大炎上してしまう。「ヒトラーの墓となぜ同列なのか?」「ヒトラーの墓を同列に例えるなど 失礼にも程がある。」「謝罪しろ」などのコメントが寄せられており、現在も多くのユーザが殺到している状態だ。この問題はしばらく続きそうだ

春香クリスティーンさんのブログ
http://ameblo.jp/haruka-christine/

―ツイッターでも非難

ツイッターでも彼女を批判する声が相次いでいる

・何も解らんのに余計な事を喋らん方がいいよ。 御英霊に失礼だし、TVで訂正して謝罪しろ。
・戦争で亡くなられた皆を祀ってる場所じゃないの??
・春香クリスティーンは今後の身の立ち回り方を考えるべきだな
・春香クリスティーン が安倍首相をヒトラー呼ばわり
・つか春香クリスティーンてそんな子だったか
・ドイツの首相がヒトラーの墓参りとかトンチンカンな例えばなししてんじゃねぇ
・春香クリスティーンは単純に政治家フェチなのか?
・正しい歴史を学んでから発言しましょう、
・皆さん、春香クリスティーンを全力で叩いてください。
・ミヤネ屋に出演してる時の春香クリスティーンは毎回可愛いな。
・春香クリスティーンやばい 靖国はヒトラーの墓と同じって言ったよね?
・春香クリスティーンちゃん、靖国に祀られてるのはA級戦犯だけじゃないからね。
・春香クリスティーンのような何も知らない無知な外国人タレントに靖国神社の事を語って欲しくない
・ミヤネ屋の春香クリスティーンは何バカなことを!

番組の内容として場違いなキャスティングをしたスタッフにも問題がありそうだ。
2013年12月26日 秒刊サンデー
http://www.yukawanet.com/archives/4596992.html


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>26日に放映された読売テレビの「情報ライブ ミヤネ屋」の中で、コメンテータとして出演しているタレントの「春香クリスティーン」さんの発言が波紋を呼びブログのコメント欄が炎上している。


ふざけるな春香クリスティーン!

12月26日放送の『情報ライブ ミヤネ屋』は、安倍首相が靖国神社に参拝したニュースを取り上げました。

コメンテーターとして出演したスイス出身のタレント・春香クリスティーン(父が日本人、母がスイス人)は、安倍首相の靖国参拝を「ヒトラーの墓参り」と比較して論じました。

司会の宮根誠司は、春香クリスティーンに対して安倍首相の靖国参拝問題について意見を求めました。

春香クリスティーンは、「海外とこの問題で比べられるのが、もしもドイツの首相がヒトラーのお墓に墓参りをした場合他の国はどう思うのかという論点で議論されるわけですけど、まあ難しい問題ですよね」と発言しました。


【動画】

春香クリスティーン「もしドイツの首相がヒトラーの墓参りをしたら他の国はどう思うのか?」 【ミヤネ屋】
http://youtu.be/KdOCN05ydYk

春香クリスティーンの周囲の外国人は、靖国問題をヒトラーの墓参りと議論しているのでしょうか?

それとも、自身の考えを語ったのでしょうか?

それとも、誰かに言わされたのでしょうか?

いずれにせよ、靖国神社を「ヒトラーの墓」と例えたのですから、祖国のために殉じられた英霊が祀られている靖国神社を冒涜しています。

ネット上では春香クリスティーンに非難の声が殺到していますが、春香クリスティーンは発言の撤回も謝罪もしていません。


安倍首相の靖国参拝を「ヒトラーの墓参り」という春香クリスティーンは、靖国神社には大東亜戦争で戦死した軍人のみが祀られていると誤解しているのでしょうか?

そして、靖国神社にA級戦犯が祀られていると誤解しているのでしょうか?


明治2年に東京招魂社として創建され、明治12年に改称された「靖国神社」に祀られている英霊246万6千余りの方々とは、大東亜戦争で戦死された日本軍の軍人だけではありません。

明治維新・西南の役・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変などで殉じられた方々も祀られています。

靖国神社には、坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作といった幕末の志士達や、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生徒など、軍属・文官・民間の方々も祀られています。

日本国民だった朝鮮・台湾人も祀られており、祖国に殉じられた方々が、身分・勲功・男女の区別なく一律平等に祀られているのです。


1952年(昭和27年)4月28日のサンフランシスコ平和条約発効で、日本は主権を回復しました。

日本はサンフランシスコ平和条約11条により、東京裁判を受託したので「戦犯」は有効という主張がありますが、これは誤りです。

同条約11条で日本が受諾したのは「判決」(judgements英語・prononcer un jugementフランス語・prononcer un jugementスペイン語)です。

つまり、「刑の執行の継承(刑の即時停止の防止)」で、「判決理由(裁判)」ではありません。

戦犯とされた方々のために、衆参合わせて4回の国会決議もされて、戦犯とされた方々の名誉回復がされました。

すでに日本は、A級戦犯も含め戦犯とされた方々の名誉を回復しており、国内的にも国際的にも戦犯は存在せず、靖国神社にA級戦犯は合祀されていません。


要するに、十一条の規定は、日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙ったものに過ぎず、それ以上の何ものでもなかったのです。日本政府は十一条の故に講和成立後も、東京裁判の「判決」中の「判決理由」の部分に示されたいわゆる東京裁判史観(日本悪玉史観)の正当性を認め続けるべき義務があるという一部の人々の主張には、まったく根拠がありません。
筆者は昭和六十一年八月にソウルで開催された世界的な国際法学会〔ILA・国際法協会〕に出席して、各国のすぐれた国際法学者たちと十一条の解釈について話し合いましたが、アメリカのA・P・ルービン、カナダのE・コラス夫妻(夫人は裁判官)、オーストラリアのD・H・N・ジョンソン、西ドイツのG・レスなど当代一流の国際法学者たちが、いずれも右のような筆者の十一条解釈に賛意を表明されました。議論し得た限りのすべての外国人学者が、「日本政府は、東京裁判については、連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで、講和成立後も、東京裁判の判決理由によって拘束されるなどということはない」と語りました。これが、世界の国際法学界の常識なのです。
佐藤和男監修『世界がさばく東京裁判』


【関連記事】

東条英機元首相ら元A級戦犯

12月26日放送のテレビ朝日『ワイドスクランブル』は、安倍首相が靖国神社に参拝したニュースを取り上げました。

コメンテーターとして出演した古賀茂明と東ちづるは、安倍首相の靖国神社参拝について批判的な発言をしました。


靖国参拝を終えた安倍総理の会見内容まとめ


古賀氏「そうですね、まぁ非常に残念だと思うんですけれども、安倍さんはね、自分のこう思いをそのまま、えー実現したという事でまぁそういう意味ではまぁ信念を貫いたっていうね、あのー、そういう評価に繋がるんだと思うんですけれども、
まっそれはあのー、、まっ中国・韓国が反発するっていう問題は一方で、まっよく分かった上で、さっき末延さんが仰ったようにまっそれでもむしろ日本の国内は、反中国・反韓国のこう感情がね、非常に国民の反中・反韓感情が高まってるから、逆に中国・韓国が反発してくれればまぁ自分にとってはプラスになるよというぐらいのまぁ計算をしてるんだと思うんですね。
ですけど、それだとするとこれあの結局、中国や韓国と同じじゃないかっていう風に私には思うんですよ。
だから国の指導者が、その国内世論がですね、他の国に対してこうまぁ反発を強めるっていう時に、本来指導者がやんなきゃいけないのはそれ抑えながらですね、どうやってこう相手の国と交渉していくかっていう事をやらなくちゃいけないのに、
むしろその煽るような(笑)方向に持っていってですね、で向こうもそれでこう煽られてですね、ドンドンドンドンこう反発が両方に高まっていくっていうのは、
(首をかしげながら)これが不戦の誓いになるのかっていうですね、逆の方向に行くんじゃないかなぁっていうのは非常ーに心配になりますね。」
(中略)


東氏「あの中国・韓国のリーダーの方に直接ね、話したいという事ですけど、是非そういう環境・きっかけを作って頂きたいなあと思います。(皮肉っぽく)

あとちょっと素朴な疑問が色々出て、、
あのー、戦没者鎮霊者の慰霊の為っていうのはホントにそれは大切な事だと思うんですよ。でもせっかく靖国神社なのでぇ、A級戦犯の合祀についての事にインタビューでは触れなかったという事も気になりますし、不戦を誓う為!という事であれば㋇㏮の終戦の日にしっかりそうした会見を、があればいいのではないだろうかとか、あのー、、
(口調を変えて)そうですねぇー、あの侵略だったのか、自衛だったのか、太平洋戦争の歴史認識がこう曖昧な事というのがね、こう戦後何年経ってもなんか分かりにくい。
何故韓国と中国がああいう反応をするのかっていう、分かっていない日本の人が多いって事もね、とっても気になります。」

ブログ「テレビにだまされないぞぉ」一部転載


中韓に媚びるテレビ局はコメンテーターを使って安倍首相の靖国神社参拝を批判し、首相の靖国参拝を問題視する世論誘導をしています。

靖国神社は「ヒトラーの墓」じゃない!


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集団的自衛権見直し 韓国国会が中止求める決議案採択

【ソウル聯合ニュース】韓国国会は19日の本会議で、日本政府が集団的自衛権の行使容認に向け憲法解釈の見直しを進めていることについて懸念を表明し、行使容認の動きを止めるよう求める決議案を採択した。

 決議案は「日本政府は集団的自衛権の行使容認を通じ、北東アジアで日本の影響力拡大を試みてはならず、韓国政府の容認や同意なしで朝鮮半島内で集団的自衛権を行使できない」とした。

 また、「日本政府は集団的自衛権の行使容認の前、過去の歴史を否定して美化し、歪曲(わいきょく)することがあってはならない」と指摘。「特に、戦時の慰安婦に対する人権蹂躙(じゅうりん)行為に関する明確な反省と賠償があるべきで、過去の侵略行為や靖国神社に合祀(ごうし)されている第2次世界大戦の戦犯に対する美化行為を止め、韓国の領土である独島に対する侵奪意図を放棄しなければならない」と強調した。
2013/12/19聯合ニュース
http://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2013/12/19/0800000000AJP20131219003600882.HTML


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>韓国国会は19日の本会議で、日本政府が集団的自衛権の行使容認に向け憲法解釈の見直しを進めていることについて懸念を表明し、行使容認の動きを止めるよう求める決議案を採択した。


日本に難癖を付けている場合なのか^^

北朝鮮は19日に国防委員会名義で、「予告なく打撃を与える」と韓国を威嚇する電話通知文を、韓国の大統領府・国家安保室に送りました。

これに対し、韓国政府は軍の通信線を通じ、「万一北朝鮮が挑発するならば、断固として懲らしめる」という内容の返信を送ったということです。

韓国は日本の領土である竹島を侵略している敵国であり、日本が集団的自衛権を行使し韓国を守る必要はありません。

仮に、朝鮮戦争が再開され朝鮮半島有事となった場合、日本政府が国民に対して果たすべき義務は、北朝鮮に拉致されている日本人と、韓国にいる日本人の救出です。


>「日本政府は集団的自衛権の行使容認の前、過去の歴史を否定して美化し、歪曲(わいきょく)することがあってはならない」

>「特に、戦時の慰安婦に対する人権蹂躙(じゅうりん)行為に関する明確な反省と賠償があるべきで、過去の侵略行為や靖国神社に合祀(ごうし)されている第2次世界大戦の戦犯に対する美化行為を止め、韓国の領土である独島に対する侵奪意図を放棄しなければならない」


韓国こそ日韓併合期の歴史の真実を改ざんするな!

日韓併合期まで日本国民だった韓国人は、「日本軍が20万人の朝鮮人女性を性的奴隷にした」など、日本軍が極悪非道な振る舞いをしていたと歴史を捏造しています。

日清戦争より大東亜戦争までの日本軍は、世界一規律正しい軍隊であり、日本軍人は「敵を敬う」という武士道精神をもっていました。


当ブログ読者の中には、「敵兵を救助せよ 封印された奇跡」での、駆逐艦「雷」(いかずち)の工藤俊作艦長のお話をご存知の方もいらっしゃるでしょう。


私の祖父、近野信雄は昭和19年に戦死した海軍少将で、祖父にとって工藤俊作艦長は海軍だけではなく、山形県の母校と海軍兵学校の後輩でした。

工藤俊作艦長は、上杉家の「義」を重んじる心と、海軍兵学校の「士官たる前に紳士たれ」との教えを受けた、帝國海軍の職業軍人でした。

※「米沢興譲館中学」(旧米沢藩の藩校として設立された。現在の山形県立米沢中学校)※「海軍兵学校」(祖父は48期・工藤艦長は51期卒)

1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃の2日後、日本海軍航空部隊は、英国東洋艦隊を攻撃、最新鋭の不沈艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と、戦艦「レパルス」を撃沈した。

駆逐艦「エクスプレス」は、海上に脱出した数百人の乗組員たちの救助を始めたが、日本の航空隊は救助活動にはいると一切妨害せず、それどころか、手を振ったり、親指をたてて、しっかりたのむぞ、という仕草を送った。

さらに救助活動後に、この駆逐艦がシンガポールに帰港する際にも、日本軍は上空から視認していたが、一切攻撃をしなかった。

1942年2月15日、シンガポールが陥落すると、英国重巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」は、ジャワ島スラバヤ港に逃れ、ここで、アメリカ、オランダの艦船と合同して連合部隊を結成した。

2月27日から3月1日にかけて 、ジャワ島北方のスラバヤ沖で「日本艦隊」と「英米蘭の連合艦隊」が交戦(スラバヤ沖海戦)、日本海海戦以来、37年ぶりの艦隊決戦である。

日本海軍は優勢で、日本艦隊は多くの敵艦を撃沈し、敵連合艦隊は大惨敗した。

撃沈された英海軍の巡洋艦「エクゼター」駆逐艦「エンカウンター」の乗組員400名以上が救命ボートなどによる漂流を続け、20時間以上が経ち生存の限界に達していた時、目の前に日本海軍の駆逐艦「雷」が現れた。


英国海軍フォール中尉は、「日本人は残虐」という先入観を持っていたため、機銃掃射を受けていよいよ最期を迎えるものと、英海軍の漂流者たちは「死」を覚悟した。

「雷」は海面に浮遊する多数の英国兵を発見した。

この時期には、米蘭の多くの潜水艦がジャワ海で行動しており、わが国の艦艇も犠牲になっていた。

3月1日には、この海域で輸送船「加茂川丸」が敵潜水艦の攻撃を受け沈没し、工藤の兵学校時代の教官であった、船長の清水巌大佐(海兵39期)が船と運命を共にしている。

それほど危険な海域なのである。

敵の攻撃をいつ受けるか分からない状況では、国際法上は、海上遭難者を放置しても違法ではない。まさに交戦中の危険な海域での出来事であった。

だが、「雷」艦長の工藤俊作少佐は海軍兵学校で学んだ「敵を敬う」との武士道精神を見せ、「敵兵を救助せよ」と発令。
兵士達は、自分たちより数の多いイギリス兵を助けることに戸惑った。

しかし、工藤艦長の海軍兵学校の頃から教育されてきた武士道。

敵とて人間、弱っている人間を相手にフェアな戦いはできないのだ。

兵士達もこの考えに従うことになった。この命令により「雷」は、「救難活動中」を示す国際信号機を掲げ、英国兵の救助に当たったのである。

しかし、長時間の漂流で体力を消耗している英国兵を、海面から拾い上げる救助作業は難航した。

そこで工藤艦長は「一番砲だけ残し、総員敵溺者救助用意」との命令を発し、船内総力を挙げての救助に当たるよう指示したのである。

ほぼ総員に近い兵員と、はしご、ロープ、竹竿、さらには、海中に飛び込んでまでの敵兵救助、魚雷搭載用のクレーンまで使用可能なすべての装備を投入した救助であった。

「燃料が不足する」との進言を受けても、工藤艦長は「漂流者を全員救助せよ」「漂流者は1人も見逃すな」、工藤艦長のさらなる命令により、「雷」は進行しては止り、すべての英国兵を救助したのであった。


その数は実に442名であり、まさに「雷」の乗組員に倍する人数であった。
「雷」の兵員は、重油で汚れた英国兵士の身体を、アルコールと木綿で丁重に拭き取り、貴重な水と食料を提供したのであった。


救助した英国兵の中から将校たちを甲板に招き、工藤艦長は次の言葉を発している。

「You had fought breavely. 諸官は勇敢に戦われた」「Now, you are the guest of the Imperial Japanese Navy 諸官は日本帝国海軍の名誉あるゲストである」

工藤艦長のこの言葉に、英国将校たちは敬礼を以って感謝の意を表したのであった。

蘭印攻略部隊指揮官高橋伊望中将は、「エクゼター」「エンカウンター」の両艦長を「雷」の付近を行動中の重巡「足柄」に移乗するよう命令を下した。

舷門付近で見送る工藤と、両艦長はしっかりと手を握り、互いの武運長久を祈った。

救助された英兵たちは、停泊中のオランダの病院船「オプテンノート」に引き渡された。]

移乗する際、士官たちは「雷」のマストに掲揚されている「旭日の軍艦旗」に挙手の敬礼をし、また、向きを変えてウイングに立つ工藤に敬礼して「雷」をあとにした。

工藤艦長は、1942年に「雷」艦長の任を解かれたが、「雷」は1944年4月13日、船団護衛中にグアム島の西で米潜水艦の攻撃を受け沈没し乗員は全員戦死した。

工藤艦長は、多くの乗組員が犠牲になったという自戒の念から、大東亜戦争終結後もこの救助事実を家族にも話さなかった。

昭和54年1月12日、工藤艦長は78歳の生涯を静かに閉じた。

工藤艦長は自らのことを何も語らずに亡くなったが、生前、一度だけイギリス兵について話したことがあるという。

彼がいつも持っている黒いバッグがボロボロだったため、姪が「なぜ新しいのに替えないの?」と聞いたところ、「イギリス兵にもらった大切なバッグなんだ」と語ったという。

工藤艦長の甥・七郎兵衛氏は「叔父はこんな立派なことをされたのか、生前一切軍務のことは口外しなかった」と落涙した。

工藤艦長は己を語らず、黙々と軍人としての職務を忠実に果たして、静かにこの世を去っていったのである。

この時救助されたフォール氏は英国に戻り、後にフォール卿となり外交官として活躍し、晩節に差しかかった1996年に自らの人生を一冊の著書にまとめた「マイ・ラッキー・ライフ」を執筆した。

その1ページ目には、この本を「私を救ってくれた日本帝国海軍の工藤俊作少佐に捧げる」と記している。

2008年12月7日、元英国海軍中尉サムエル・フォール卿(89)は66年の時間を経て、 埼玉県川口市 内の工藤俊作元日本海軍駆逐艦「雷」艦長の墓前に念願の墓参りを遂げ、感謝の思いを伝えた。


【動画】

これが日本人の精神 日本軍人 工藤俊作艦長の話
http://youtu.be/WeUsX7wmZwM

【海外の反応 敵兵を救助せよ!駆逐艦 雷(いかづち)の決断!(スラバヤ沖海戦)】

フィリピン非常に感動的な物語だ・・・。本来、人間はこうあるべきなのだ。

アメリカ合衆国(24歳)この事実は、日本人が悪人でない事をはっきり示しています。イギリスと日本に栄光あれ!

カナダ(54歳)美しい話です。溺れているイギリス水兵を救助するために、海に飛び込む日本水兵のシーンは非常に説得力があります。戦時中に起こった全ての忌まわしい出来事に対して、ひとつの光をあてるものです。

アメリカ合衆国非常に説得力があります。こんな話はこれまで聞いたことがありませんでした!

タイ(46歳)これは間違いなく賞賛に値する行動です。私は尊敬の念を禁じえません。

フィリピン(27歳)とても感動的です・・・。涙が出てきました。 イギリス(35歳)たとえ、戦いの中であったとしても、名誉と尊厳は存在するのだ。

アメリカ合衆国(31歳)これこそ武士道です!!原文this is bushi-do !! 武士道

アメリカ合衆国工藤俊作。この人はいい人だ。 

オランダ(上記のコメントに対して)「いい人」って??からかっているのか??彼は偉大な男だ!!!!!

アメリカ合衆国素晴らしい話であり、継承すべき物語です。

ドイツ(65歳)ドイツから、この日本の勇士たちに最高の尊敬をこめて。実際、ドイツには我々の歴史を通して、このように勇敢な同盟国は一度も存在しなかった。私自身、元兵士として、この勇士たちに、尊敬をこめて敬礼を送ります。

ポルトガル工藤艦長に敬意を表します。

オーストラリア(52歳)素晴らしい話です。人間としての手本です。ありがとう。

スウェーデン彼に敬意を表します。




【告知】

【東京都千代田区&中央区】 12.23(月・祝) 天皇誕生日・奉祝「日の丸行進」&「頑張れ日本!全国行動委員会」大忘年会

日時・内容:
平成25年12月23日(月)祝日

<日の丸行進>
13時30分 集合
【場所】常盤橋公園(地下鉄半蔵門線 三越前駅 の西、徒歩2分)
【一般参賀に参加された方】12時30分 皇居外苑和田倉噴水公園集合14時00分 奉祝「日の丸行進」 出発
15時30分 奉祝「日の丸行進」 到着 日比谷公園

<大忘年会>
18時00分 開始(~21時00分)
【参加費】 3,500円 ※ドリンク・食事付
【会 場】 サンライズビル東京 2F「ザ・グリーンホール」    
     ( 中央区日本橋富沢町11-12 )
      都営新宿線「馬喰横山駅」A3出口より徒歩3分)【登壇予定】 田母神俊雄、三宅 博、赤池誠章、長尾たかし、三橋貴明、山村明義、片桐勇治 葛城奈海、濱口和久、佐波優子、三浦小太郎、伊藤祐靖、坂東忠信、鍛冶俊樹 タイラヨオ、永山英樹、三輪和雄、水島 総 ほか主催:頑張れ日本!全国行動委員会


中韓を除く世界各国の人々は、「士官たる前に紳士たれ」との教えを実行した工藤艦長と、たとえ敵兵でも命を掛けて救助する日本軍の武士道精神を称賛しています。


日本軍は素晴らしかった!

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12月8日は、大東亜戦争開戦記念日です。


ククリット・プラモード(タイ元首相)
日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない。



大東亜戦争までの時代背景をみると、アメリカなど白色帝国主義国家による植民地支配や、白人社会に有色人種差別意識がありました。

日清戦争当時、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は黄色人種(具体的には日本人) の進出によって、今後白色人種に災禍がもたらされるとする黄禍論(Yellow Peril)を唱えました。

この黄色人種脅威論は白人国家に広がり、白人社会に存在した人種差別意識や有色人種に対する嫌悪感により支持されると共に、警戒感を造成しました。

日露戦争では、白人諸国がロシアの勝利を予想したにもかかわらず、日本はロシアを打ち破りましたが、これは近現代史上初めて白人が有色人種に敗れたことでした。


インドの ジャワハルラル・ネール(後のインド首相)

小さな日本が大国ロシアに勝ったことは、インドに深い印象を刻み付けた。日本が最も強大なヨーロッパの一国に対して勝つことができて、どうしてそれが インドに出来ないといえようか。だから日本の勝利はアジアにとって偉大な救いであった。インドで我々が長い間捕らわれていた劣等感を取り除いてくれた。


日露戦争で、アジアの小国の日本が勝利を収めたことにより、白人国家は日本が白人による世界支配体制を脅かす存在になると考え始めました。

昭和初期、米国はフィリピンを、英国はインド・ビルマ・マレー半島を、フランスはインドシナを、オランダはインドネシアを植民地支配していました。

アジアが白色帝国主義諸国により植民地支配される中、唯一の独立国は「日本」でした。


※枢軸国のタイ王国を独立国と考えるかは、二重外交や戦後処理問題など、各々の判断にお任せ致します。
※大東亜戦争の期間は、靖国神社では「支那事変」と12月8日よりを「大東亜戦争」と分けて英霊を祀っています。


反日勢力は大東亜戦争を日本の侵略戦争だと歴史を捏造していますが、大東亜戦争とは日本が生きるために行なった自存自衛戦争でした。

米第32代大統領、フランクリン・ルーズベルトは、対独戦に参戦する口実を欲しがっていたことから日本を戦争に追い込んだのです。


ハーバート・フーバー第31代米大統領は、ルーズベルトを、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』だった」と批判していました。

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真珠湾攻撃70年「ルーズベルトは狂気の男」フーバー元大統領が批判



日本軍による米ハワイ・真珠湾攻撃で、黒煙を上げる米海軍の戦艦アリゾナ(ロイター)

【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874~1964年)が、日本軍が1941年12月8日、米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882~1945年)について、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。

 米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」で明らかにした。

 真珠湾攻撃に関しては、ルーズベルトが対独戦に参戦する口実を作るため、攻撃を事前に察知しながら放置。ドイツと同盟国だった日本を対米戦に引きずり込もうとした-などとする“陰謀説”が日米の研究者の間で浮かんでは消えてきたが、米大統領経験者が“陰謀説”に言及していたことが判明したのは初めて。

 ナッシュ氏の著書によると、フーバーは第33代大統領のトルーマンの指示で戦後の日本などを視察。46年に訪日し、東京で連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と会談した。その際、フーバーはマッカーサーに対し、日本との戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘。在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁は「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語ったという。

 マッカーサーも、「ルーズベルトは41年夏に日本側が模索した近衛文麿首相との日米首脳会談を行い、戦争回避の努力をすべきだった」と批判していた。

 著書ではフーバーが「米国から日本への食糧供給がなければ、ナチスの強制収容所並みかそれ以下になるだろう」とマッカーサーに食糧支援の必要性を説いていたことも詳細につづられており、フーバーの対日関与の功績に光を当てるものにもなっている。

 ナッシュ氏は「この著書が、今でも米国の英雄とされているルーズベルト大統領への歴史評価を見直すきっかけになってほしい」と話している。
産経新聞 2011年12月7日

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ルーズベルト大統領は不戦を公約に掲げていたので、日本から攻撃をさせるように工作をしました。

日本による戦争回避を潰すために、フライング・タイガースによる日本軍への攻撃計画・ABCD包囲網による日本の資源断ちをしました。


日本は、日米交渉で和平努力をしていました。

しかし、昭和16年11月26日、米国側当事者、コーデル・ハル国務長官から日本側に提示された交渉文書「ハル・ノート」により和平を断念しました。



ハル・ノート

62、激怒、安堵、絶望、喝采のハル・ノート
(昭和16年11月)二十七日、ハル・ノートに接した我が国政府軍部首脳は直ちに連絡会議を開いたが、出席者全員がアメリカ政府の強硬な態度に衝撃を受け、落胆し、和平交渉の前途に絶望した。東京裁判において東郷は、
「ハル・ノートは日本に、支那・仏印からの撤兵を要求していた。さらに三国同盟を死文化する条項も含んでおり、日本が之を受諾すれば、三国同盟を日本から破棄する事になり、国際信義の問題となる。この問題を除外しても、日本がハル・ノートを受諾して撤兵し、警察官までも即時引揚げる事になれば、中・南支でも日本がそれまでした事はすべて水泡に帰し、日本の企業は全部遂行できない事になる。また、南京政府に対する日本の信義は地に墜ち、地方での排日・侮日感情は強くなり、日本人はこの地方から退去しなければならなくなる。さらにハル・ノートは満洲方面についても同じ事を要求しており、従って日本は満洲からも引揚げなければならなくなり、その政治的影響は自ずから朝鮮にも及び、日本は朝鮮からも引揚げなくてはならない事になる。
換言すれば、日本の対外情勢は満洲事変前の状況よりも悪くなり、ハル・ノートは日本が日露戦争以前の状態になるような要求である。これがすなわち東亜における大国としての日本の自殺である。ハル・ノートは日本に対し全面的屈服か戦争か、を迫るものと解釈された。もしハル・ノートを受諾すれば、日本は東亜における大国の地位を保持できなくなるのみならず、三流国以下に転落してしまうのが、ハル・ノートを知る者全員の一致した意見であった。従って、日本は自衛上戦争する外ないとの意見に一致した。」
と証言し、さらに東條は、キーナン検察官から「証人はハル・ノートを見た事があるか」と質問された際、「これはもう一生涯忘れません」と、ハル・ノートの内容を知った時の驚き、失望、怒りを一言の下に表した。【国民のための大東亜戦争正統抄史1928-56戦争の天才と謀略の天才の戦い60~66東條内閣の和平努力】抜粋



大東亜戦争への道
東郷茂徳は東京裁判の口述書でその時の我方の反応を「ハル・ノートに対する出席者全員の感じは一様だったと思う。米国は従来の交渉経緯と一致点を全て無視し、最後通牒を突きつけてきたのだ。我々は、米側は明らかに平和解決の望みも意思も持っていないと感じた。蓋しハル・ノートは平和の代価として日本が米国の立場に全面降伏することを要求するものであることは我々に明らかであり、米側にも明らかであったに違いないからだ。日本は今や長年の犠牲の結果を全て放棄するばかりか、極東の大国たる国際的地位を棄てることを求められたのである。これは国家的自殺に等しく、この挑戦に対抗し、自らを護る唯一の残された道は戦争であった」と述べている。
これは軍部の見解ではなく、文官たる外務大臣の意見であることに注意すべきである。無論、東條首相の宣誓供述書も殆どこれと同趣旨である。即ち連絡会議の結論は(1)ハルノートは明らかに最後通牒であり(2)米国は我国が受諾できない事を知りつつ、しかも関係国との緊密な了解の上に通知してきて居り(3)米側はすでに対日戦争を決意しているが如くである。中村粲「大東亜戦争への道」抜粋



当時、日本は石油の80%をアメリカから輸入し、残りの20%を英国とオランダから輸入していました。

これら3カ国が日本に石油を売らなければ、日本は滅亡したのであり、日本に石油を売らないということは、「日本に死ね」と言うのと同じことでした。

日本がハル・ノートを受け入れ、日本が支那や満州から撤退していたら、日本では失業者が溢れ、夥しい数の日本人が餓死などで死んでいたでしょう。

そして、亜細亜の大国の地位を失い、小国に転落すれば、米国・ソ連に植民地支配されていたでしょう。

英国に植民地にされたアイルランドの人口は、1841年の820万人が1911年には444万人と約半分になりました。


●1939年
7月、米国が日米通商航海条約を破棄
●1940年
1月、米国が錫、屑鉄の対日輸出額を前年度の半分にすると通告 
6月、米国が工作機械の対日輸出を禁止
7月、米国が航空機用ガソリンの東半球への輸出を禁止
9月、米国が屑鉄の輸出を全面禁止●1941年4月、日米交渉開始7月、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名7月、米国が在米日本資産を凍結8月、米国が対日石油輸出を全面禁止9月、日本は帝国国策遂行要領10月、東條英機内閣発足、「帝国国策遂行要領」を白紙に和平努力11月26日、米国がハルノート提示
12月8日、真珠湾攻撃・マレー半島侵攻、日本政府による対米英宣戦布告



1941年(昭和16年)12月8日、日本は独立国として自存自衛のために開戦をしました。

12月8日午前1時30分(日本時間)、日本は英領のマレー半島に侵攻しました。

日本による奇襲攻撃とされたハワイ真珠湾攻撃は、12月8日午前3時19分(ハワイ時間7日7時49分)からです。

米国は真珠湾攻撃より1時10分前の6時40分、アメリカ領海で日本海軍の潜水艦を米国駆逐艦ウォード(ワード)号が攻撃して撃沈しています。

このことは、「米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類75」(1945年6月7日)にも記されています。


シーボルト米国少将アメリカの駆逐艦ウォード号は、奇襲以前に日本の特殊潜航艇を撃墜している。根拠はルーズベルト大統領の、「すでに日本との外交交渉は終わった。これからは諸君の手で解決されなければならない」という通告に基づいて。「真珠湾の審判」より
米国駆逐艦ウォード(ワード)号


アメリカ陸軍スチムソン長官の日記「ハワイで我々を攻撃したことで、今やジャップは問題の全てを解決してくれた。これで全米国民が危機感を覚え、一致団結の機運が生まれた。」

英国軍需生産省オリバーリットルトン「米国が戦争に追い込まれたというのは歴史の改作狂劇である。米国が、日本をして次のごとき限界まで追い込んだからだ。すなわち日本人は真珠湾において、攻撃するのを余儀なくされるまでアメリカに強圧されたのである」1944年6月20日、ロンドンの米国商業会議より

キンメル米国大将「アメリカ政府が日本の野村大使に手交した対日通告は、以後の日米交渉の可能性に事実上の終止符を打ったものであり、したがって太平洋戦争を避けえられないものにしてしまった」「真珠湾の審判」より

マーシャル米国大将「アメリカ側からさきに攻撃を開始すれば国論は分裂の恐れがあったから、外交の手続き上で、日本をして先に手出しを出させる必要があった。それではどう云う手を打つべきかについては、ハルが大統領のために準備すべきであると決定された」(ハルノート手交前日の戦争諮問委員会に出席。他のメンバーはルーズベルト、ハル、ノックス、スチムソン、スターク)
1946年4月9日査問委員会より


2013年4月23日、安倍総理大臣が参院予算委員会で村山談話に関連し、『侵略の定義は学会的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う』と答弁しました。


この、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」とは事実です。

当時の「侵略」を禁止したパリ不戦条約は、自衛戦争を認めていました。

同条約に、「自衛権は、関係国の主権のもとにある領土の防衛だけに限られてはいない。そして本条約のもとにおいては、自衛権がどんな行為を含むかについては、各国みずから判断する特権を有する。」とする留保があります。

つまり、当時の国際法では、戦争当事国が「この戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争だ」と判断すれば、その戦争は侵略ではないことになっていたのです。

大東亜戦争終結後の日本は、本当の侵略者である戦勝国と、反日勢力が捏造した歴史を洗脳されています。

反日左翼は、大東亜戦争開戦を軍部による暴走と主張して、天皇陛下の戦争責任を追及しています。

当時の日本人が戦った大東亜戦争とは、決して侵略戦争ではなく、日本の自存自衛戦争でした。

日本が戦わなければ、アジア諸国の独立は何十年後に実現したかも分からないのであり、アジア解放のための聖戦でもあります。

ジャワハルラル ・ ネールインド首相の妹のパンデイット夫人は、1945年 にアメリカを訪れた際、「太平洋戦争は本質的には人種戦争だ」と述べました 。



【動画】
凛として愛(5/7)
http://youtu.be/kTP3t4cdL3Q

日本海軍軍令部総長の永野修身大将
「戦うもまた亡国であるかも知れぬ。だが、戦わずしての亡国は、魂を喪失する民族永遠の亡国である。たとえいったん亡国となるも、最後の一兵まで戦い抜けば、われらの児孫はこの精神を受け継いで再起三起するであろう。」


【動画】
大東亜戦争 その歴史的意義 FLASH
http://www.youtube.com/watch?v=m8o_Y6ekPcA

大東亜戦争の名言集
http://www.youtube.com/watch?v=Gz8s23-SQG4

「大東亜戦争開戦の真実」4-1(H18.12.6)
http://youtu.be/hzmfniVeZpw

歴史とは勝者が作るものでも勝者が正義とは限らないのであり、日本の和平努力・戦争回避を潰して日本に自殺を求め、開戦に追い込んだのは米国です。

日本は侵略国ではない!


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中山成彬氏 朝日の慰安婦報道は「日本悪者にしたい」

朝日新聞が11月28日、インドネシアにも「慰安婦だった」と証言する女性がいることを報じた。同記事では「慰安婦問題、インドネシアの女性証言『日本軍のテントに連行された』」と題し2人の女性にインタビュー。1人は日本軍のテントに連れていかれ慰安婦にされたとしており、もう1人は性被害を受けたという。2人とも日本兵かは定かではないが、言語と顔つきがインドネシアのそれと違うことから「日本兵だと思った」と話しているとのこと。

 この朝日新聞の報道に日本維新の会の中山成彬衆議院議員がツイッターで「記事にするのは恥ずかしいような証言だ。どうしても日本を悪者にしたいらしい」と意見。「それこそ帰りにベトナムに寄ってベトナム戦争時の韓国兵の悪行を調べてくればよかったのに」とコメントしている。
2013年11月29日 アメーバニュース
http://yukan-news.ameba.jp/20131129-112/




>朝日新聞が11月28日、インドネシアにも「慰安婦だった」と証言する女性がいることを報じた。同記事では「慰安婦問題、インドネシアの女性証言『日本軍のテントに連行された』」と題し2人の女性にインタビュー。


ふざけるな朝日新聞!



慰安婦問題、インドネシアの女性証言 「日本軍のテントに連行された」

慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない。日本政府が約20年前、東南アジアへの波及を防ぐ外交を水面下で進めていたことを朝日新聞は報じた。1942年に日本が占領したインドネシアには、現在も「旧日本軍から性暴力を受けた」「慰安婦だった」と証言する女性がいる。


日本軍のテントで何度も辱められたと証言したベッチェさん。家族にも捨てられ、未婚だという=7月18日

イパティマンさんは、日本の大手企業の工場で働いていたところを連行されたと証言した。「毎日10人ほどの日本人がやって来た」と話した=7月21日
以下略
2013年11月28日 朝日新聞




>1人は日本軍のテントに連れていかれ慰安婦にされたとしており、もう1人は性被害を受けたという。2人とも日本兵かは定かではないが、言語と顔つきがインドネシアのそれと違うことから「日本兵だと思った」と話しているとのこと。


韓国人元慰安婦と同じで証拠はないのか^^

1942年に日本軍がオランダからインドネシアを解放したのに、なぜ「テント」の慰安所があるのでしょうか?

当時は日本国民だった朝鮮人もインドネシアにいたので、性的暴行を加えたのは朝鮮人軍属ではないのでしょうか?

朝日新聞が2人の女性にインタビューをしたのは7月なのに、なぜ11月になってから報道したのでしょうか?

そして、この2人の女性は、日本軍に強制された慰安婦ではなく、現地の戦時売春婦だったのではないのでしょうか?

日本軍人がインドネシアでオランダ人女性を慰安婦にしたという白馬事件でも、秦郁彦は、判決で被害者のオランダ人の全てが強制とはされなかった事、慰安所に連行される以前に売春婦であった女性が存在した可能性について述べています。

そもそも、大東亜戦争当時、日本軍はインドネシアの人々から解放軍として迎えられ、民間経営による慰安所があり、日本軍人相手の慰安婦がいたのです。

3月8日の衆院予算委員会の質疑で、中山成彬衆議院議員は日本の朝鮮統治について事実を述べました。

・日本の朝鮮統治は朝鮮の近代化に貢献したこと
・創氏改名は自由であったこと
・慰安婦の官憲による強制連行は無かったこと(朝日新聞の捏造)

【関連記事】

「日教組はガン」発言の中山成彬衆議院議員

つまり、中山成彬衆議院議員が「記事にするのは恥ずかしいような証言だ。どうしても日本を悪者にしたいらしい」と指摘したように、朝日新聞による捏造記事です。


朝日新聞は、大東亜戦争でオランダからインドネシアを解放した日本軍人と、大東亜戦争終結後もインドネシア独立のために戦った日本軍人を侮辱しています。


インドネシアには、古くから伝わる「ジョヨボヨ王の予言」(12世紀前半、東ジャワのクディリ王国のジョヨボヨ王が書き記したバラタユダの一説)という伝承がありました。

『我らが王国は、白い人びとに支配される。彼らは離れたところから攻撃する魔法の杖を持っている。この白い人の支配は長く続くが、空から黄色い人びとがやってきて白い人を駆逐する。この黄色い人びとがいるのは、ジャゴン(トウモロコシ)が育つのと同じくらいの期間だ。』

1602年のオランダ東インド会社設立頃より、350年間に渡ってインドネシアはオランダの植民地にされました。

1930年前後からインドネシアにも独立を希求する民族運動が発生しましたが、オランダはこれを厳しく弾圧して徹底した愚民政策で、インドネシア全土を植民地支配しました。

オランダは、多数の部族を互いに敵対させ、オランダ人に従順な一部の部族を警官とし、経済は華僑を利用して、統一言語ができると抵抗運動がおきるので部族間の言葉はそのままにさせました。

オランダの植民地政策は、道ばたで3人以上のインドネシア人が話していると処罰するほどの徹底した奴隷支配でした。


1941年、日本が大東亜戦争を開戦すると、インドネシアにも日本軍がやってくるらしいという噂が流れ始めました。

ある日、インドネシア人が爆音に空を見上げると、空にはいくつもの白い花が咲き、戦士達が降下してきました。
これが、「空の神兵」と呼ばれた日本軍の落下傘兵でした。

『これこそが、ジョヨボヨ王の予言にある空からの黄色い人々ではないか!』と、 インドネシア人は驚き、そして日本軍を歓迎し、日本軍に協力をしました。

1942年1月11日、日本軍はセレベス島のナドへの攻撃を皮切りにジャワ島を目指し、スマトラ島では幽閉されていたスカルノ、ハッタ、シャフリールら、当時のインドネシアの代表的な指導者を解放しました。

今村均中将率いる陸軍16軍は、3月1日にジャワに上陸して、わずか9日間でオランダ軍を降伏させ
ました。

インドネシア人は、自分たちを350年も支配して来た白い人びとを、わずか9日間で駆逐してしまった黄色い人びとが現実となり、これはまさに「ジョヨボヨ王の予言」の実現であることを知ると共に、白人が決して全能の神ではなく、アジア人が彼らの奴隷ではないことを確信しました。

日本軍政下に置かれたインドネシアでは、国名は蘭印からインドネシアに、オランダ名だった首都バタヴィアは、古インドネシア王国のジャヤカルタに倣ってジャカルタに改称されました。

日本によりオランダ語が廃止され、新しくインドネシア語(当時はジャワ語の分かる日本人がいなかったので、特務機関で学習されていたマレー語を採用)が作られました。

日本は、将来のインドネシア独立の方針を推し進め、インドネシア人の若者による「郷土防衛義勇軍」(PETA)を組織し、日本軍式の軍事教練を施しました。

このPETAはインドネシア独立戦争の中心戦力となり、後のインドネシア国軍の母体となったので、今でもPETA出身の軍高官は、「日本精神のおかげでオランダに立ち向かうことができた」と語っています。


日本は、1945年3月にインドネシアの独立準備委員会を発足し、8月19日にスカルノ、ハッタ、ラジマンによって、独立宣言をするという方針を決定・承認していました。

しかし、1945年8月15日に大東亜戦争終は終結しました。

日本の軍政は3年半であり、これも「ジョヨボヨ王の予言」にあるトウモロコシが育つまでの期間と同じでした。
1945年8月17日、後の初代大統領スカルノによって独立宣言文が読まれました。

この宣言文の日付は「17805(05年8月17日)」と、西暦ではなく日本の「皇紀」(2605年)で書かれています。

日本軍はポツダム宣言受諾以降、連合軍が来るまで現地の治安維持と、武器の管理を命じられていました。

しかし、日本軍は秘密裏にインドネシア人に武器の流しなどをして、自らが育てたPETAを支援しました。

ある日、武器庫の番をしていた日本軍兵士が暴徒化したインドネシア人に殺された時、自らの血で『インドネシアの独立に栄光あれ』と壁に書いて息絶えました。

このような日本軍将兵の姿勢は、インドネシア人に衝撃を与えました。

そして、インドネシアの独立を認めずに、再びインドネシアを植民地支配するために、イギリス軍とオランダ軍が侵略してきました。

しかし、日本の統治によってインドネシア人は猫から虎に変わっていました。

2000人以上の日本軍将兵は現地に残り、PETAと運命を共にし、4年にも及ぶ独立戦争を戦い抜いたのです。


残った日本軍将兵の動機は様々でしょう。

彼らは玉音放送における、「朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」(私は日本と共に、終始東アジアの解放に協力してくれた諸盟邦に対してすまなく思う)との、昭和天皇の大御心を代わりに果たして、インドネシアの独立の礎となったのです。

1949年12月のハーグ円卓会議で、インドネシアはオランダからの独立を承認されました。

インドネシア独立のために戦い散った日本軍将兵は約1000人で、英霊達の御霊はジャカルタにある「カリバタ国立英雄墓地」に祀られています。


毎年、8月17日のインドネシア独立記念日には、盛大な独立記念祭が行なわれ、インドネシアの人びとは日本の軍歌を歌いながら行進し、インドネシア国軍のパレードで使われているのは「PETAマーチ」です。

パレードのクライマックスにはインドネシア人の男女2名と、日本陸軍のふん装をした男性による3名で、インドネシアの国旗を掲揚します。


「郷土防衛義勇軍(PETA)マーチ」(斉藤守氏訳)
1、アジア すでに敵に向かい 蜂起せり己を捨てて 全力を尽くす 連合国を粉砕せんと玉散ることもいとわず 進め進め 義勇軍アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
2、古きアジア 不幸に苦しむ列しき圧制に 幾世紀も忍ぶ 大日本 雄々しく立てりアジアを救い 我らを守る 進め進め 義勇軍アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ



スカルノ インドネシア元大統領「インドネシアの独立戦争では、約3,000名の日本兵がインドネシアの為に戦ってくれました。私たちはその『心』を大切にし、同じアジアの民族として伝えなければなりません。その『心』は日本とアジアばかりではなく、世界の平和にも繋がるのです。ところが、インドネシアの独立で通じ合った日本の犠牲的精神を、今の日本の若い人達はほとんど知りません。残念でたまりません。私達の独立の為に戦ってくれた日本兵の事を、きちんと日本で語り継いでほしいと思います。そしてインドネシアに来られたら、ジャカルタの英雄墓地に眠る日本兵の奥城にお詣りして下さい。その墓標には、みなイスラムの名前と日本人の名前が彫られています」

サンパス 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝する事は、戦争が終わってから日本軍人約2000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれた事である。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけで済むものではない」

アラムシャ 元第3副首相「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である」

ブン・トモ 元情報相「日本軍がアメリカ・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。それなのに全て日本に背負わせ日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。申し訳ない」

インドネシア サンバス長官
「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ(アウンサン)、ラウレル、アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である」


インドネシアの独立の礎となった日本軍将兵は、インドネシアをオランダによる350年の植民地支配から解放し、インドネシアは『ムルデカ(独立)』したのであり、これが大東亜戦争の真実です。



【動画】

ムルデカ 17805
http://youtu.be/hiUTLHjvmHI


中山議員が「記事にするのは恥ずかしいような証言だ。どうしても日本を悪者にしたいらしい」と指摘したように、朝日新聞はインドネシア解放・独立のために戦った日本軍人を侮辱しています。

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自衛隊部隊約1180人に増員命令 小野寺防衛相、フィリピン台風被害救援で

 小野寺五典防衛相は15日、フィリピンの台風被害救援の自衛隊部隊を現在の約50人から約1180人に増員する命令を出した。増援部隊は一部を除き艦艇3隻で18日に出発し、早ければ22日ごろに現地に到着の予定。派遣部隊の規模は過去最大となる。日本政府によると、レイテ島とサマール島に住んでいた日本人75人と連絡が取れていない。

 国連人道問題調整室(OCHA)は15日までに4460人が死亡したと発表した。一方、フィリピンの国家災害対策本部は同日、3631人の死亡を確認したとしている。
2013.11.16 産経新聞





日本にとってフィリピンは、憲法改正や集団的自衛権などを理解してもらい、対中包囲網を構築するために重要な国の一つです。


台風30号の直撃を受け、甚大な被害を受けたフィリピンの皆様へ、お悔やみとお見舞いを申し上げます。
連絡が取れていない邦人の無事と、自衛隊員の活躍と無事帰還を願います。


【私たちにもできる支援】

2013年フィリピン台風救援金 - Yahoo!ネット募金(Tポイントでも募金できます)
2013年フィリピン台風救援金 - 日本赤十字社

フィリピンが台風被害支援に対して「ありがとうございます、絶対忘れません」と感謝の気持ちを伝えるために、支援国の国旗を組み合わせて作った広報ポスター
(太極旗が抜けていると韓国人が激怒)



大東亜戦争開戦までのフィリピンは、スペインに約300年、米国に約50年も植民地にされていました。

そして、白色帝国からフィリピンを解放したのが日本で、初の神風特別攻撃隊が飛び立ったのもフィリピンでした。

フィリピンには、フィリピン人のダニエル・ディソンが奔走して、フィリピン政府により建立された「カミカゼ記念碑」があります。

このあたりは大東亜戦争中に日本軍が使用していたマバラカット飛行場で、ここから最初の神風特別攻撃隊が飛び立ちました。



神風特攻隊全戦没者の碑(慰霊碑は、先のピナツボ火山の噴火によって喪失してしまった)

碑文(原文は英語)
ここは第二次世界大戦当時最初のカミカゼ基地、マバラカット東飛行場跡です。カミカゼ特攻隊は昭和十九年十月二十五日大西海軍中将によってマバラカットで編成された。最初の志願者は当地に進駐していた帝國海軍第一航空艦隊第二〇一航空隊所属の搭乗員二十四人でした。最初のカミカゼ隊指揮官は、大尉関行男で「神風特別攻撃隊」と呼ばれ敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊の四隊に分かれていた。昭和十九年十月二十五日敷島隊は関大尉指揮のもとに午前七時二十五分ここを飛び立った。部下隊員は一等飛行兵曹中野磐雄、一等飛行兵曹谷暢夫、飛行兵長永峰肇、上等飛行兵大黒繁男でした。同日午前十時四十五分レイテ近海にて米海軍空母群を発見。先ず関大尉機が米艦セイントローに体当り爆破二十分後に沈没させ隊員機は米艦カリニンベイ、同キトカンベイ、同サンガモン、同サンテイ、同スワニー、同ホワイトプレンズを攻撃した。戦果では関行男大尉を「世界最初の正式人間爆弾」としている。第二次世界大戦終了までのカミカゼ特攻の戦果は米艦隊の撃沈又は大破合計三二二隻兵員に与えた損害九〇〇〇人以上であった。そしてカミカゼ隊員五〇〇〇人の内四六〇〇人が戦死した。カミカゼ特攻はすべての世界史に記録の例のない壮挙であり、又歴史のあきらかにするところによればその背後にあった理念は正に凡ての国が相互尊重と機会均等の原則に従って共存共栄を偕にする世界の秩序と平和の確立をひたむきに願いその実現のため散華したことです。この碑は、神風特攻隊戦没者全員と米国および連合国の犠牲者のために建立されたものである。訪問者はこれら英霊の永遠の鎮魂と世界の恒久平和のために、祈りを捧げてください。




ダニエル・ディソンが大戦中に日本軍人と出会ったのは11歳の時でした。

一人のフィリピン少年はどのような思いで、このようなカミカゼ記念碑を造るに至ったのでしょうか?


1941(昭和16)年12月8日の午後1時頃、昼食を終えたディソン少年が立ち上がった所で、突然地面が揺れ、窓がガタガタと鳴った。

祖父が「地震だ、地震だ」と叫んだ。

その後に、ゴーという低い轟音がして、続いて、ポップコーンが破裂するような音が空から降ってきた。

窓に駆け寄って空を見上げると、小さな破裂した煙がいくつも見え、そのはるか上に爆撃機の編隊が二つ見えた。
初めて見る日本軍だった。

地震だと思ったのは、その爆撃機が落とした爆弾だった。

近くにあるクラーク飛行場は、アメリカ軍の極東での主力基地である。そこを日本軍が急襲したのだった。

祖父は、「何故日本がこんなところを攻撃できるんだ。日本はずっと遠くにあるはずじゃないか」と叫んでいた。

祖父は新聞で日中戦争の事を知っており、また近くに住む中国人が日本人は残虐だと触れ回っていたので、日本軍をとても恐れていた。

もちろん私は日本軍をとても恐れてはいました。

しかし、その時心の中では密かに日本軍のことを賞賛していました。

何しろ決して敗れないはずの白人を、私達と同じアジア人の日本人がやっつけているのですから。

私達は皆、日本の爆撃機の数を数えていました。

私はその光景を忘れません。12月の深い青色の空に機体が白く美しく見えました。

ディソンの一家は戦闘を逃れて、深い谷間に数日隠れていたが、ようやく静かになったので町に戻ってきた。町には大勢の日本兵がいた。

ディソン少年の伯父はマニラで日本人と働いたことがあるので、「『アリガト』と言え」と教えてくれた。

そこで、ディソンらが「アリガト!アリガト!」と言うと、日本兵はみな笑い出した。

何かひどい扱いを受けるのではないかと心配していたディソンは、少しほっとした。

日本兵たちは、ポケットから何かを出して子供達に渡した。

ディソン少年も一つ貰ったが、それは布でできた小さな袋で口をひもで縛るようになっていた。巾着である。

明けてみると、小さな四角いビスケット(乾パン)と、砂糖のボール(金平糖)が入っていた。

それが、ディソンが日本兵からもらった最初のものだった。

妻子を故郷においてフィリピンに駐屯している日本軍将兵たちにとって、フィリピンの子供達は心を和ませてくれる存在だったようだ。

後にディソンの妻になるエンリケッタも、アンヘレスのすぐ南のポラックという町に住んでいて似たような経験をしている。

近くに日本軍の飛行場があり、毎日そこに行って、雑草を引き抜く仕事をしては1ペソ貰う。

やがて背の低い、がっしりとした体格の日本兵が、エンリケッタによくキャンディーやクッキーをくれるようになった。

エンリケッタは飛行士たちとも仲良しになった。

飛行士の一人はエンリケッタを抱き上げて、戦闘機の翼の上に乗せ、その特設ステージで、エンリケッタは得意の歌と踊りを披露した。

司令官はそんな光景をいつも見ているだけだったが、ある時、エンリケッタが熱を出して二日も基地に行かないでいると、トラックで家まで見舞いに来てくれた。

そして袋一杯のキャンディーと、クッキーを置いていってくれた。

1944(昭和19)年になると戦局が悪化し、9月21日、アメリカ軍の飛行機がアンヘレス周辺にあるすべての飛行場を爆撃した。それからは毎日空襲があった。

圧倒的物量にものをいわせて押し寄せる米軍に、反撃を試みる日本軍に残された手段は、もはや250kgの爆弾を抱えて、敵艦に体当たりする特攻攻撃しか残されていなかった。

その頃から、アンヘレスで鉢巻きをした日本軍の飛行士たちを見かけるようになった。日本の兵隊たちは、彼らと街で会うとお辞儀をしていた。

ある晩、この飛行士たちが泊まっている家からピアノの演奏が始まり、いろいろな軍歌が聞こえてきた。悲しい調子の曲も流れた。その一つが「海ゆかば」だった。

そして翌朝、彼らは飛び立つと、二度と帰ってこないのだった。

昭和19年10月25日、関行男大尉の率いる神風特別攻撃隊「敷島隊」の5機は、ルソン島西部のマパラカット飛行場から出撃し、レイテ湾のアメリカ艦隊に突入していったのである。


敷島隊

この特攻攻撃を皮切りに、終戦までに陸海軍合わせて3375機の特攻機が出撃し、4279名の命が散った。


こうした神風特攻隊も、戦後の日本では「戦争の悲劇」の代名詞としてしか語られていない。

ところが、「カミカゼ」を生んだフィリピンではその捉え方がまったく違っていた。

大東亜戦争における日本の精神的象徴ともいえる神風特攻隊は、フィリピンの人々に敬われ、そしてその勇気が称賛されている。

平成12年10月25日、フィリピンでは、パンパンガ州マバラカットをメインに、タルラック州バンバン、同州カパスの3か所で、「神風特別攻撃隊」をはじめ、戦没者の慰霊祭が挙行された。

慰霊祭のメイン会場になったマバラカットは、首都マニラの北方約80kmに位置し、戦時中には日本の「神風特攻隊」の飛行基地があった。

フィリピン空軍軍楽隊の奏でる勇壮な「軍艦マーチ」が、マバラカット飛行場を見下ろすリリー・ヒルの大地を揺さぶった。

慰霊祭の取材にやって来た、フィリピン人ジャーナリスト、ジョジョ・P・マリグ氏は語る。
「この式典は日本とフィリピンの関係を知るよい機会です。私は先の大戦で戦ったすべての愛国者は”英雄”だと考えています。とりわけその尊い生命を国家に捧げた神風特攻隊員は英雄です」

式典に参列した、ダニエル・H・ディゾン画伯は静かに語る。
「いまから35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙がとまらなかった。・・・こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。同じアジア人として、このような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを”誇り”に思っています。」

「当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきだとして戦争に突入していったのです。神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の”抵抗”だったといえましょう」

タルラック州バンバン村でも神風特攻隊の慰霊祭が行なわれ、子供達の「日の丸」行進はどこまでも続いた。


式典に参加した地元サン・ロック高校の女子学生達は声を揃える。

「Brave!」(勇敢)。

その中の一人が続けた。
「フィリビンにも”英雄”はたくさんいます。ですから私達も神風特攻隊という日本の”英雄”をたいへん尊敬しています・・・・」

私は学生達にもう一度訊いた。
「君達は、カミカゼのパイロットを尊敬しているのですね」

屈託のない笑顔で皆は答えた。
「もちろんです!だってあの人達はヒーローですもの・・・」

帰路につこうとする我々を子供達は「日の丸」の小旗をちぎれんぱかりに打ち振って見送ってくれたのである。
日本人参列者はこの光景に胸を詰まらせていた。頬を濡らす者もいた。

アジアの国々から、常に戦争の責任を追及されていると思い込んでいる日本人にしてみれぱ、かなり意外で嬉しいハブニングであった。


Kamikaze Memorial Society of Philippines(フィリビン・カミカゼ記念協会)の会長を務めるディゾン画伯の自宅には、自らの手になる「敷島隊」の5人の肖像画を掲げた、「カミカゼ・ミュージアム」が設けられています。

2001年の米同時テロ後、特攻兵と自爆テロリストの類似性が取りざたされるようになりました。

「特攻兵が死を賭して突入したのは敵の戦艦。一般市民を無差別に狙ったわけではない」と話しています。

ディゾン画伯(肖像画は画伯の手になる特攻隊員のもの。左上が関行男大尉)

ディゾン画伯「私は、ヨーロッパ・アメリカ・中国・フィリピンの歴史観を様々な角度から検証してみました。その結果、なぜ日本が立ちあがり、戦争に打って出たのかがよくわかったのです。そして日本が、欧米列強の植民地支配に甘んじていたアジア諸国を叱責した理由も理解できたのです」


【動画】


フィリピンで語り継がれる特攻精神
http://youtu.be/HknYSn-sGtU

神風特攻隊 「命の使い方」~日本人として知っておきたいこと~
http://youtu.be/5w5TC4ppsIE

泣ける【静ちゃんへの手紙】~神風特攻隊員の兄と幼き妹~
http://youtu.be/nQ0AN524pF4

特別攻撃隊<最後の手紙>
http://youtu.be/LCdzGDaJKpg

神風特攻隊には、自ら志願した若い朝鮮人兵士もいました。

当時、朝鮮人は日本国民として、日本の自衛のために戦ったのです。

特攻隊員の残した「天皇陛下万歳!」という言葉には、親子愛、家族愛、郷土愛、祖国愛だけではなく、アシア民族への愛が込められていました。

現代を生きる日本人は、神風特攻隊の真実、美徳ある日本の武士道精神を子や孫へ継承するべきです。

中共メディアは、自衛隊のフィリピン派遣を「派兵」として、「保守勢力が日本の平和憲法を取り去ろうとしている」と批判的な報道をしています。


「戦後最大の海外派兵」 中国紙、自衛隊のフィリピン派遣を

 15日付の中国紙、新京報は、台風30号で被害を受けたフィリピンへの自衛隊派遣について「第2次大戦後最大規模の海外派兵」で、自衛隊の海外活動への厳格な制限を緩和する上で「重大な突破だ」と伝えた。
 
同紙は、日本の平和憲法は海外派兵を規制してきたが「保守勢力は、この足かせを一つ一つ解き放とうと努力してきた」と指摘した。(共同)
2013.11.15 産経新聞




中共の存在は、日本だけではなくアジア全民族の脅威であり、他人の不幸の隙に土足で踏み込み居座るのが特亜のやり方です。

中共の侵略からフィリピンなどアジア諸国を守ることは、中共と対峙できる大国としての日本の義務です。

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プロフィール

近野滋之

Author:近野滋之
こんのしげゆき
Nationalist
1962年9月14日生まれ
東京都新宿区出身
財団法人日本遺族会会員
21世紀日本政経会議議長
少年教育を考える会理事
靖國神社崇敬奉賛会正会員

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